パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です

20221120

昨晩、久しぶりに彼と行った中華料理屋での食事が本当に楽しかった。いつもより私の眉毛が太かったことを指摘されて、口に入れたワンタン麺を吹き出してしまいそうなくらい笑った。食事しながら楽しいと思える人間は、わたしにとって数少ない。わたしは人間と会話をするのがとても苦手。苦手というのは、人見知りとかでははなくて、人に自分の話をすることが苦手であって、人の話を聞くことはかなり好きななほう。人の考え方とかそれぞれの価値観には肯定的であると思っていて、著しくモラルを欠いていない限りは概ね共感したり、適切な相槌を提供したりできているはず。ただ自分の話となると我ながら支離滅裂であるうえ起承転結もままならず、遂には話の途中から着地点を見失うといった頭の回転の悪さを露呈する。その割に承認欲求が強いから人に話したいことがたくさんあるし、滑舌が悪いのに早口ということも相まって、一定数の人間からは煙たがられたりする。残念なことに、煙たがられる瞬間を察知する能力もある。対人関係において、それを一番恐れている。かたや文章はじっくり推敲して時間をかけられるので、言いたいことを正しい順序で伝えられる点好き。そんな下手くそな話を彼は、急かすこともなければ、煙たがることもなくただ静かに聴いてくれる。彼自身は私とは対極の寡黙な人で、自分からたくさん話したりするほうではない。そういえば付き合い初めの頃、勤めていたバイト先から家までを毎日のように送ってくれていたことがあった。帰り道で甘いお菓子と飲み物を買い込んで、車中で2.3時間話すだけのささやかなデート。その時も座席を少し倒して、たくさんの話をした。私はその時間がどんな瞬間よりも大好きだったということを、些細なことで喧嘩した本日、同じ車中で思い出すことができた。人間には他の動物とは決定的に違う細やかな感情と言葉があるのにも関わらず、些細な言葉の投げかけと受け取り方で簡単にすれ違ってしまう。時に想いを伝えられるはずの言葉を使わずに、相手に伝わるはずだなんて高を括って。私たちには幸運にも同じ言語があり、自分の話ができる口と、相手の話を聴ける耳があるのに。私たちは、相手の話を聴きながら同じ量の自分の話をした。それができるだけで嬉しい。会話、それはすなわちラーメン屋で青菜炒めが食べたいとどれほど望んでも「餃子をひとつ」と伝えれば紛れもなく餃子が運ばれるということ。

20221116

消せるということは、あるということ。今日で結成13周年目を迎えるバンドのヴォーカルはそう歌う。死にたいと思えるのは、生きているということ。辞めたいと思うのは、仕事があるということ。別れたいのは、今そばにいるということ。綺麗事みたいで勝手な考え方だと思う。でも全部本当で、当たり前すぎて普段はどうしたって忘れてしまう。そんな当たり前に気がついてしまうくらいに、私は参っていたんだろう。一度暗い思考の渦に巻き込まれると、まるで蟻地獄みたいに足元を掬われてしまう。私は特にそうで、昼でも夜でも一度沈み込むとあがるのにしばらくの時間か、気を紛らわせる何かが必要になる。私はその場合、人と話すことで忘れられるらしいということに今日気がついた。なんでもいいし、無理にでもいいから人とたわいもない会話をすると一時的に暗い思考を止めるができる。そういった点からして、人間同士の繋がりとか関わり合いって、思っているよりもずっと強固なものなんだろうと思う。親しい人間以外は全体的にうっすら嫌いな私でも、社会との関わり合いを完全に断ち切ってしまう真に孤独な人間になりたいわけではないのだ。その夜怖い夢を見た、体の中に何かが入ってくる圧と、なまあたたかさを感じる不気味な夢。霊的なそれを私は信じないけど(だって亡くなった大切な人にはいまだに会えていないから)夜中にハッと目が覚めると激しい動悸がして息苦しささえある。たまにこういう時がある。一度、動悸が何か重大な病気の前兆ではないかと恐れて、忍びなくも深夜3時頃に救急車を呼んだことがあるが、身体の異常は何も見られなかった。よって、精神的なものであると解釈して動悸が止むのを凪となって待ち続けた。一人でそれに耐えている時間は苦しくて恐ろしくて自分が自分ではない何者かになってしまいそうな気さえする。布団の中なのに手足は冷えて震えていた。結婚や人と暮らすことについてははなんの執着もしていないがこういった夜に、信頼できる大人が横にいるのといないのとでは精神的な安らぎがまるで違うんだろうと思う。一生懸命に意識を別の方向へと向けていたらいつのまにかまた眠りにおちていた。案の定、寝不足のまま迎える朝は辛い。そろそろ本格的に心療内科への受診を検討している今日この頃。秋めいた程よい気候は過ぎ去って、風がくたびれた体に突き刺さる。寒くなったということは、今まで暖かかったということ。

20221115

私の誕生日を祝ってくれた友人の誕生日を忘れていたことを思い出した。申し訳ない。遅れている上で、いつ頃祝うべきか日々考え巡らせているけど、そんなもの早い方がいいに決まっている。それでも何をあげようかでまた悩んでいたら、ついぞ忘れて夜遅くなってを3日間くらい続けていて本当に出来が悪いなと思う。会社の給与が固定残業制度になって、早く切り上げたものから順に得するシステムに変わった。今までは青天井で、基本給が低いぶん皆んながダラダラと残業しながら稼ぐような会社だったのに今では夜の20時を過ぎると会社は静けさを纏って、人がいないエリアからは徐々に電気が消えていく。そんななか相変わらず仕事に追われているのがこの私である。誰もいない社内で、私以外の人間なら簡単に終わるはずの、ごくわずかな業務に数時間とかけて、それらが降り積もったかと思えばいつのまにか数日と経ち、それなのに上がらない業績に頭を悩ませて夜は眠れず、体調の悪いまままた次の朝を迎えるなどといった悪循環から抜け出せないでいる。どうしようもなく死にたくなる。人身事故のニュースが他人事には聞こえなくなってきてからが、人生の本番という気もする。この社会には、善良な無能と、邪悪な有能が存在している。私はどちらだろうか。邪悪な無能ではないと願いたい。私の身に降りかかる出来事をあまり楽しめなくなった原因は間違いなく自分自身にあるけど、それを絶対に認めたくない自分とが混在している。わたしはどんなに単調な毎日であっても、楽しさを見出せることを長所としていたのに。情緒を乗せたシーソーは今日もすごい速さで生きると死ぬを行き来している。私に音楽が文学がなければもうとっくに死んでいだだろうと思う瞬間がある。毎日想像だにしなかった劇的な事変が巻き起こって、生活が一変してしまえばいいと願っている。それは良いことである必要はなくて、自分の周りの大切な人々を失わない程度の天災であるとか、通勤途中の道にでかい穴が空くとかそういうの。大雪とか1週間続く原因不明の竜巻とかでもいい。つまり私には一切非がない合法的な理由で仕事をめちゃくちゃ休みたいだけである。あとは旅に出たい気もする。福島県灯台を見に行ったり、フェリーに乗って鹿児島に行くやつやりたい。年内は難しいかもしれないから、来年早々に行ってこようと思ってる。なんだ、まだちゃんと生きる予定があってよかった。

20221111

本日も秋晴れ。朝はいつものベーグル、昼はスタバのバジルチキンサンドとホワイトモカ(でかいやつ)、誕生日に友人からもらったギフトカードの期限がもう間も無くなため2,000円分豪遊したけど500円で済んでかなり得した気分だ。しかもデカいやつにしてもお値段変わらないですよと親切な店員さんが教えてくれた。夜はひさしぶりに飲酒金曜日。おどりながら街を歩いた。肌寒い11月初旬、活気付いた駅近くの街では至る所に吐瀉物が撒き散らされていたり、うしろから全速力で酔った男が走り去っていったりして楽しい。みんな1週間お疲れ様でした。酒に弱い私は電車で体に満ちていく吐き気に耐えきれず見知らぬ町の駅でついには降りてしまった。情けなさすぎる。そこはタクシーの停車しない街で、終電を過ぎた駅中は人が歩いておらず、街灯も少なく薄気味悪かった。タクシーが通る駅まではなんと徒歩1時間半。その時点で0:30をすぎている。頻繁に後方を確認しながら半泣きで歩くことを覚悟した矢先、空車のタクシーが目の前に現れた。必死で合図を送って停車させダメ元で行き先を伝えると品のある老紳士は「こんな夜遅くに女性を放っていけないよ」と優しくドアを開けてくれて、おもわず泣きそうになった。老紳士はかつて百貨店で働いていたり、ハリヤーで重役を運んでいたとかでとにかく所作や話し方に品があって、やわらかい笑顔が暗い車中でもよくわかるほどだった。わたしはタクシーの運転手と話すことが好きで、積極的に話しかけてしまうタイプなんだけど、その人も行き先に着くまでたくさんお話ししてくれて嬉しかった。あんな場所でたまたま通りがかったのは奇跡にほど近く、しかも踏切の近くだったので減速をしていたことも相まって気づけたことは幸いだったと言っていた。このことを認めると、なんだか失われてしまうようで口を慎んでしまうのだけど、私は人生全般においてとても運がいいと感じてる。窮地に陥ったときにふと救いの手が差し伸べられたりする経験が多い。だからきっとこの先も、のたれ死んだりすることはないんだろうなと根拠のない自負がある。私は大丈夫なんだ。運転手さんは、仕事観や高度経済成長の頃の街と人の話をしてくれて過ぎる街を眺めながら相槌を打つ時間が心地よかった。自宅まで送ってくれて、最後に今日はたくさん稼げる日だったからと料金もまけてくれた。休みの前の深夜はやっぱりどこか特別だ。

20221110

なんか普通の日記としてここ使いたくなってきた。かっこつけて一生懸命書く文章があまりしっくりこなくなった。天気は清々しい秋晴れ。少し肌寒いけど、湿気のないカラッと晴れた青い空がきれいだった。ここ数日雨が降らないので、職場に置いてきた傘を持って帰ることを毎日忘れてしまう。きっと雨が降った日にやっと思い出すんだろう。朝はいつもの紅茶とオレンジのベーグル(中にレアチーズが入ってる)をはんぶん。夏からしばらく駅のコンビニみたいなところで売ってる一宮のパン屋さんのもの。これがおいしくておいしくて、おそらく2ヶ月くらいかけて30個は食べてるんじゃないだろうか。少し言い過ぎたかもしれない。昼は明太子チーズコロッケ弁当。炒飯とカツ丼と迷った結果これにしたけど、失敗だった。美味しくなかったし、そのあと急いで外出の予定があったからあんまり味わえなかったのもあるかもしれない。夜は昨夜の残りのおでんと冷凍の甘だれ唐揚げをふたつ。4日間かけて、3回おでんをやったのでさすがにもう飽きてきた。ただおでんは22時をすぎた夜ご飯に丁度よかった。出汁がきいてるからなんか身体にも良さそうな気がする(気がする)。更に肉が食べたくなって唐揚げまで食べしまったのは少し反省点。でも二つだから誤差。ここ数日間あごにこしらえていたデカめの吹き出物がピークを過ぎて、快方に向かっており嬉しい。治りが遅くなってきて、27歳の年齢を実感した。マスク生活はこういった肌の不調が明るみにならないので大変有難いとともに、乾燥と摩擦で余計肌荒れに拍車がかかる気もしてる。煩わしいけれど、都合の悪いことを隠して安心するマスク。もう元の日々には戻らないのだろうか。最近、通勤時に青空文庫の「風立ちぬ」を読む。家に積読として伊坂幸太郎の「シーソーモンスター」があるが、ブックカバーがなくて外に持ち出せないでいる。青空文庫の存在を知って、ソラリという専用アプリをDLしてみた。文字の大きさが調整できなくて公共の場で読む画面いっぱいの文章が少し恥ずかしい。まだ序章なので物語の良さについては分からないけれど、登場人物の言葉遣いや、心の琴線にふれる台詞が随所に散りばめられていてうつくしい物語だなと思う。そういえば12月初旬に美術館に行く予定ができたりもして、この気候は文化的なものに自ずと触れたくなってしまう季節なのかもしれないな。明日はポッキーの日

石橋施工管理

私には悪しき思考の癖があり、解決しない問題をいつまでもいつまでもいつまでも思い悩み続けてしまう。そのせいで昨日なんて午前3時にやっと眠りにつけたくらい。例えるならば、石橋を叩いて叩いて叩いて、周りからまだ叩いてるの?と聞かれてもなお、叩いて叩いて叩き続けている。あまりの慎重さに心配してくれてた人達は、いつのまにか殆どが渡り切ってしまって向こう岸で楽しそうに踊っているのに、その光景がどうしても信じきれずどうせ私の渡る番で石橋は音を立てて崩れ去って死んでしまうんだろうという最悪の想定が付き纏う。そんな人生。この性格と向き合い続けて早27年。治る見込みはもうないし、人生において大切な選択肢を迫られる年頃になった今、より強くなっている気さえする。昔はもっと怖いもの知らずで、石橋なんか走って渡っていたはずなのに。

そんな私の背中を蹴飛ばしてくれる存在がいる。それはもう十数年の仲になるわけだけど、ずっと変わらないでいてくれる。私がいろんな局面で下を向いて石橋の様子を入念に確認していると、後ろから全力で走ってきたかと思えばドロップキックをお見舞いする。これが結構強くって、私はよろめいた弾みで一歩二歩と先に進んでしまうんだけど、不思議なことに石橋は崩れないし安全に渡れることをそこで初めて知る。みたいなことが、出会ってから何度もあった。答えの出ない問いかけをたった一人で続ける私にハッと光あるヒントをくれる。それは時に石橋を渡らなくて済む方法だったり、すでに壊れてるところ飛び越えるための強かな手段だったりもして半ば強引で、いつも愉快で、話終わる頃にはいつもこんなちっぽけな悩み、石橋のわずかなひび割れ、なんでこんなに長い間気にしてたんだろって心が軽くなる。

そうやってドロップキックしてくれるひと、私は他に知らないし、当たりどころが悪いとたまに腰を痛めるから、正直そんなに多くいても困るし。だからその子だけでよくて、わたしの人生にはその子がとても必要で、たまに蹴飛ばしてもらわないと私は前に進む決心がつかないから、すごく感謝してるってことが言いたい。恥ずかしいから直接言うことはないんだけど、これ見たら教えて。またドロップキックが必要になったら連絡してもいい?

愛しあってるかい

立て続けて大切なひとの結婚式に参列した2022年10月。少し前までは、一足早く人生の階段を登るひとたちの後ろ姿を見送って焦る気持ちもあったけど、誰ともなく人生は一人一人のペースがあって、タイミングがあって、一つも同じ道なんてないことを感じ始めてからそうは思わなくなった。ただ純粋に、大切な人たちが結婚式に招いてくれて私のことも同様に大切だと思ってくれたという事実が、ただただ嬉しくて、結婚式後の帰り道は幸福で胸がいっぱいになった。結婚式の多い10月の気候はカラッとした清々しい晴天の日が多くて、本日はお日柄もよく。なんて家を出る時思ってしまう。

女性は特にそうだと思うけど、みんな朝早くからそれぞれの祝いは始まっていて、大切なひとの晴れの舞台に見合うようドレスを身にまとい、髪には華やかな飾りを施している。普段しないかしこまった格好も相まって、自然と背筋が伸びる思い。少しだけ派手な化粧をしたりして、いつもと違う自分で今日のあなたたちに対する祝福を全身で伝えている。そんな結婚式の空間が好き。初めて会うけど大切なひとのおそらく大切な人々と、みんな笑顔で浮き足立つパーティ。

人生で大切な人々が祝いをくれる瞬間が3回あると言われている。一つは産まれたとき、一つは結婚式、そして、お葬式。そのうち、明確に記憶や記録に残るものは結婚式しかないので、あれだけ盛大に、そして華やかに執り行われるんだろうな。この発想は今までわたしにはなくて、少し皮肉めいた気持ちを抱いていたり、仮に私なんかが人様の時間とお金を貰って祝いを乞うに値する人間なのかとか、ずっと縁遠いものだと思っていたけれど、参加するたびにそんな考えは変わっていった。

大切な人たちに向けて「あなたたちをこれからも大切にしたい」という決意を、最も美しい姿でみんなに伝えてる。そして、その大切な人たちの前で死ぬまで一緒にいることを決めた、たったひとりと契りを交わす。こんなにも素晴らしい行事があるのかって話。だから、私を招いてくれてどうもありがとう。私のとても大切な人たちへ。本当におめでとう、心からの祝福が届いていたら嬉しいな。

中津川ソーラー武道館

2018年から毎年行き続けている地元のフェスの話がしたい。何をきっかけに行くことになったのかは正直まるで覚えていないのだけど、2018年の主要たる夏フェスがそろって終わりを迎える9月下旬に、地元岐阜県中津川市で開催されるフェスの存在を知った。中津川という地は岐阜県の東濃エリアに位置していて、自然豊かな山合いが連なっており、言葉を選ばすに言うとクソど田舎である。岐阜県がただでさえ郊外だというのに、そのさらに奥まった地にある場所だった。近々リニアが通るらしいので今後都市化する噂なんかもあるくらい、未開発の山ばかりある。

そんな場所でフェスが?地元のお祭りとかではなく?なんて半ば疑いつつも、出演アーティストを見てみると同時でさえ勢いのある邦楽バンドの数々やJ-POPからもそうそうたるメンツが訪れるとの情報であふれていて、それはそれは驚いた記憶がある。それでは行ってみようじゃないかと足を運んでみたのが私と中津川ソーラー武道館との一番古い記憶である。

中津川ソーラー武道館と、他のフェスとのちがいを挙げるとしたらロケーションの素晴らしさにあると思う。会場は前述の通りクソど田舎あらため、山々が広がっていて標高が少し高い場所にあるので空気が澄んでいるように感じられる。会場は三つの丘にまたがって設営されていて移動には階段を必要とするが段になっているから移動がしやすい上、一番高いところから会場全体の景色を見下ろせることも他のフェスとは大きく違う点にあると思う。夕方になると目前に広がる山々と、会場と、夕景が圧巻でコロナ禍になる前はシンボルとして巨大な気球を飛ばしていたからそれも相まって美しい景色が広がっていた。何より、開催が毎年9月下旬とあって夏の強い日差しを感じることもできるし火照った体を優しく撫でる秋の涼しい風が何よりも気持ちいい。それを大好きな音楽と共に一日中感じることができるフェスを私は他に知らない。そんな唯一無二の中津川ソーラー武道館に惚れて、毎年行っている。

コロナ禍により開催中止を余儀なくされていたが、今年3年ぶりにここ岐阜県中津川市に帰ってきてくれた。開催を知ったその日に、毎年同行してくれる友人に連絡を入れたところ二つ返事で一緒に行くことが決まって、もうその瞬間からフェスが始まったといってもいいくらい。徐々に発表される出演アーティストたちにワクワクするのも久しぶりのこと。コロナ禍で行動制限を強いられている頃も、オンラインで過去のライブ映像を配信するなどして、主催者が観客を楽しませるために試行錯誤していたことは良く知っていたけれど見るたびに参加したい気持ちばかりが大きく膨れ上がり、実際に行ったことがある手前、満足できなかったこともまた事実だった。

開催が叶わなかった年の悔しさや、開催に至るまでの苦悩を思うと主催者に対して感謝の気持ちで頭が上がらない。2022年の開催を決断してくれて本当にありがとうございました。会場で必要となる電力をソーラーパネルを使って発電すること、リユースカップカーボンニュートラルを実現させること。「太陽のフェス」そう呼ばれる所以はここにもあり、自然豊かな地で行うからこそ環境に配慮したフェスの開催趣旨含め、素晴らしい催し事だと思っている。

そして、迎えた一日目は降水確率90%の土砂降りだった。開催日までの1週間、何度も何度もウェザーニュースを眺めていたが雨雲はしぶとく中津川の空に居座り続けたのだ。3年ぶりの開催に浮足だった気持ちと同じ程度の、今年くらいは晴れてほしかったというやり場のない失望感。私自身、雨天のフェスはおよそ10年ぶりだったので例年通り楽しむことができるのかと不安さえあった。念のため雨具をそろえて当日を迎える。先に伝えておくと、この時抱いていた些細な不安なんてすっかり忘れてしまうくらい、今年も素晴らしかった。

JR中央線を乗り継いで、電車に揺られること1時間。3年ぶりの中津川駅に到着した。せめて小雨なら、、という淡い期待も虚しく、容赦なく降りしきる雨、雨、雨。この時はまだ土砂降りではなかったものの、シャトルバスまで向かう道のりも気が滅入るほど雨が降っていた。今年は感染対策の一環で来場者登録や、バスの予約などの手間も増えて疫病を憎んだ。ただ、この大好きなフェスを成功させるためには、演者はもとより観客一人一人の意識がとても重要だと思う。手際よく受付を済ませていざ会場へ。同じく雨具に身を包んだ人たちは口々に、ロケーションのすばらしさあってのフェスなのにと残念そうに呟いている。その気持ち、とても分かる。20分程で会場に到着すると、見覚えのある道のりと会場を指し示す看板が目に入り、とても懐かしく思った。たった3年前ともいえるが、随分と月日が経っているような気もする。私たちの環境は変わっていないようにみえてきっと3年前とは全然違う。それでもここにまた来れたことが嬉しい。そんなことを思いながら、来場者用リストバンドを身につけて、ノベルティのステッカーをもらって会場内へと足を踏み入れた。

会場の敷地はそこまで広くないので、会場入りした瞬間からどこからともなくリハの演奏が聞こえてきて思わず駆け出したくなってしまう。本日のタイムテーブルによるところまだ急ぐ時間でもないのに、入り口を抜けた瞬間に走り出したくなるくらい、ここは日常と大きく切り離された非日常的なフェスだと実感できる。先日行ったテーマパークの入り口をくぐり抜けた時と同じような浮足だったきもちを胸に、メインステージへ向かった。

ブランケットシンドローム

幼い頃の写真を見返すと、私のそばには必ずいつも大きくて赤いバスタオルがあった。物心つく前からずっと、そのバスタオルを抱いて寝ている記録があった。大きなバスタオルのことを「だいじ」と呼んでいた。いつしか母が「大事に持っていてね」と手渡した言葉のかけらを、私はそのバスタオルの名前だと思っていたんだそうだ。寝る時も、出かける時も、泣く時も、食事の時だってわたしのそばには「だいじ」があった。タオルの端の、折り返して縫い付けてある部分の硬さが口に咥えるには丁度よかった。私は指しゃぶりをしない子供だったけど、「だいじ」を常にしゃぶっていたから指が必要なかったのだ。幼児愛着症といって、物心つく前から手にしていた物に対して異常なほどの愛着をみせる幼児ならではの特徴だったということは大人になってから知った。(今はブランケット症候群という言葉もある。まさにそれだった。)そのバスタオルが洗われた日には大癇癪をおこして、暴れ回っていたくらい。少し異常なほど、わたしは「だいじ」が大事だった。

驚くべきことにこれはなんと19歳まで続く。人が同じタオルを19年、毎日使うとどうなるか。もうバスタオルの原型をとどめておらず、その頃には細長く黄ばんだ布きれになっていた。けれど、困ったことにわたしは「だいじ」がないと夜も眠れない。今でこそこうしてひとつのエピソードとして伝えてしまえるけれど、その頃親からは成人を目前にしても幼少期から治らないひとつの癖に、難色を示すようにもなっていた。いつになったらそのボロ雑巾を捨てるんだとさえ言われた。大事にしろと教えてくれたのはどこの誰だよと思いつつも、自分自身も人に話すことはなく、人前でそれを持つことは恥ずかしいとさえ思っていたから、ほんの少し罪の認識もあったのだと思う。それでもやっぱり寝る時は、顔の上にそれがないと落ち着かなかった。その頃からだろうか、無機質な物に宿る魂のことを信じていたのは。今でも歯ブラシや、靴を処分する時はひとたび手を合わせて心の中で感謝を伝える自分なりのルールがある。長く身につければ身に着けるほど、心が宿っているように感じて、無下に扱えなくなってしまうのだ。これはある種、自分の中に築かれたささやかな宗教ともいえる。同じ宗教を持つ人間に人生で一度、一人だけ出会ったことがある。それが今の恋人だ。

20歳になる頃に、ボロボロの「だいじ」は姿を消した。本当に、ある日突然無くなってしまった。見かねた親が無断で捨てた可能性も十分にあるが、無ければ無いで、すんなり過ごせるようになったことが、なんだかとても寂しかったんだ。それは別れとも、成長とも、卒業ともとれる。ペットを飼った経験は少ないが、失った時はこんな思いだろうか。匂いは1番先に記憶から薄れてしまうらしい。あれだけ一緒にいたのに、どんな匂いだったか今ではもう全く思い出せない。本当に大好きだった。私の汗や涙やよだれが染みついた世界でたった一つのバスタオルの匂いを、いつかまた嗅ぎたいなと思う。懐かしい匂いを再現できるサービスがあれば、30万円までなら出せる。きっと他にも思い出したい匂いがある人は一定数いると思う。発明しようかな。また嗅げたら懐かしくて泣いてしまうかもしれない。そんな大事な、19年。

コロナ療養記

感染経路は明白であり、自業自得で誰も悪くない。私は私の不注意で、乗りたくもない流行りに乗ることになってしまった。初めはごく一般的な風邪症状にも似たのどの違和感だった。エアコンのつけすぎかしらとも思ったけれど、熱を測ると37度で確信に変わる。私は基礎体温が著しく低くて、寝起きは35度とかなのでたった2度でもかなりしんどい。倦怠感が通常の風邪以上だということは、これまでに罹った経験者の療養エピソードで知ってはいたものの、自分と同じ重さの人間がずっしり覆いかぶさっているくらい体が重くて驚いた。丁度その日、シャンプーとリンスを切らしていて、体調が悪いのに詰め替えを試みたけどしゃがむことすら辛くて、地面にへたりこんだまま済ましたくらい。一人で暮らしているから体調の悪さには敏感で、仕事終わりにスーパーへ寄って、念のためポカリとのど越しの良い冷凍うどんやプリンなんかも用意していた。一人で生きることも随分と板についてきたなあと感心する。全然感心している場合などではない。その日はいつもよりも少し早めに寝た。

翌日、確実に昨日より悪化している。私の症状は主に倦怠感と頭痛と背中の痛み。のどに関しては少し前に罹った扁桃炎のほうが辛かったから、言うほど辛くはなかった。熱はこの時点で37.5度くらい。体感として、もっと高熱が出ているようにも感じたけれど、熱以外の症状のせいで余計にひどく感じたみたい。職場に電話して、休みをもらった。数か月前に上司はすでに罹っていたからか、熱で繁忙期の最中にもらう休暇については想像以上に寛容だった。徒歩20分くらいに内科があるが、炎天下のなか歩くことすらままならなかったため、申し訳ながらもタクシーで向かう。本当はだめだったかもしれない。第七波の只中にあって、きっと病院もとんでもなく混んでいるだろうと覚悟したけど、拍子抜けしてしまうくらい空いていて、かえって恥ずかしかった。医者はもう同じような患者を何百、何千と見てきているのだろうか。診察は30秒もかからなかった。検査に通されて、綿棒を鼻の穴めがけてめり込まれた後、数分待機するも結果はなんと陰性だった。そんなわけがあるかとも思ったけれど、発症後すぐは結果に反映されないこともよくあるらしかった。のどの痛みや熱に効く薬をもらって、帰りは徒歩で帰った。自宅へ戻り、プリンを食べて薬を飲んだ。まだ日の明るいうちに自宅にいる火曜日の後ろめたさよ。とめどなく流れてくる仕事のメールは未読のままそっと閉じて、普段は見ることのない昼間のワイドショーを横目にベッドに体を預けていたらすぐに眠ってしまった。夕方に目を覚ますと熱は38.5度を記録。これは確実に黒でしょうよと思いつつ、今は療養するしか方法はない。ゼリーを食べて薬を飲んでまたすぐに眠った。薬のせいか、体調が悪いからか眠くて眠くてたまらない。

さらに翌日、依然として続く身体全体の不調は相も変わらず。風邪で思い起こされるすべての症状が一度に襲い掛かってくるような感覚。インフルエンザよりもやっぱり全然辛いので、年寄りや子供は何日も続いたらそれはそれは耐えられないだろうなとさえ思う。再度病院へ行って検査を受けることにした。この日もやっぱり空いていたし診察は20秒で終わった。検査を受けてしばらく待機する。結果は陽性だった。最近の行動確認と周囲の感染者の有無、住所と緊急連絡先と職場について。国への報告のため、こと細かく記載しなければいけないらしい。新しい解熱剤をもらったが、もう薬局の中へは入ることができなかった。感染症対策で外に処方箋を入れるポストが置いてあって、まだまだ5類になるには時間がかかるだろうなと思った。

再度、職場へ陽性の報告をすると10日間の自宅療養を命じられた。以前までは2週間だったがいつのまにか制度は変わっていたらしい。まだ倦怠感の残る身体をゆっくりと運びながら重い足取りで自宅へ帰った。彼氏や友人や親や同期はそのあとも甲斐甲斐しく連絡をくれたり、食料を届けてくれるなどして、とても助かった。周りへの感謝を忘れてはいけないなと月並みにも思う。それからおよそ2日~3日ほどで症状は快方に向かい、恐れていた急変や悪化にはつながらなかった。まだ重症化を免れたのは、疑心暗鬼にも打つことを選択したワクチン接種のおかげだろうか。

症状の変化も通常の風邪とは大きく異なる点がいくつかあった。体の痛みがなくなると同時に激しい咳が襲ってきた。体内で死滅した白血球たちの死骸。私の体を未知の病から必死に守ってくれてどうもありがとう。噂には聞いていたが、その後すぐに味覚・嗅覚症状が現れる。鼻炎持ちのためにおいを感じなくなる経験は今までにも何度かあったけれど、それとはまた違っていて鼻は通って、呼吸のしづらさもないのに匂いが全くしないのだ。これがささやかにも感じられる、レベルの話ではない。全くしなかった。元気な頃に作った茄子のミートドリアは腐ったおからのような食感と風味を感じてとてもじゃないけれど完食できず、捨ててしまった。嗅覚は一切感じないけれど、味はおかしな物に書き換えられて脳に届くといった感じだ。何もかも美味しくなかった。これがかれこれ5日間ほど続き、しばらくのあいだゼリーや飲み物中心の生活をした結果、3キロほど痩せた。かろうじて食べられたものは柑橘系のゼリー、アイス、ポカリのみ。ポカリは味やにおいを感じないはずなのに、舌のうえでポカリだということが認識できて不思議だった。

部屋の中にある芳香剤や、トイレの消臭剤をゼロ距離で嗅いで毎日確かめていたけれど、ほんの少し、はるか遠くに香るだけで、あとは想像上のすでに知っている香りを脳が補正しているような感覚だった。個人的に不調だった時の症状よりも、こちらのほうがよっぽど辛かった。今まで、五感のうちどれか一つを残すとしたら無類の音楽好きとしてまず間違いなく聴覚だったけれど、嗅覚と味覚はそれと同じくらい失いたくない。味と匂いがある世界が当たり前すぎて気づかなかった。失う五感の中に含まれてなかった。私はこれまでとても幸せに生きてきたんだな。

そして現在、上司が自宅まで届けてくれた社用PCを使って在宅勤務が可能となり1週間自宅で仕事をした。月に6回の在宅勤務が義務付けられているから不自由はしなかったものの、私の憩いの場である自宅に5日間も仕事を持ち込むなんてことは心穏やかではなかった。職場と住環境が分かれていることは、とても重要なことなんだと思う。出勤が何より苦痛だったのに、心から出勤とそれに伴う「移動」を望んだ。これも無くならない限り私は感じるはずもなかった。

身体が元に戻ったあとの自宅療養は、世界から私ひとりぶんの空間が切り離されているような感覚。絶対的な安全性は保たれているけれど、毎日変わらない景色はとても退屈だった。動物園の動物たち、水槽の中の熱帯魚、ペットショップの犬や猫たちは、日々どんな気持ちでいるんだろう。まだ目前に人間が往来するから、寂しさとはまた違った思いだろうか。もとから自他ともに認める極度の出不精であり、自宅が大好きな私でさえ、少しでも外の空気を吸うために頻繁に玄関に出て空気に触れるなどしていたくらいだから、アクティブな側の人間にとっては相当酷だろうなと思う。日々違った景色が見られる生き方が向いているらしい。たった10日間では世界の全容はきっと少しも変わらないけれど、人々の記憶から私の存在が消えてしまうような焦りを感じて、寂しいと思った。大袈裟にも聞こえるけど、ちょっと病んでた。

少なくともこの療養期間が適用されている間には、もう罹りたくはないなと思う。五類になって通常の風邪という扱いになったらば、もう一度、いややっぱりもう二度と罹りたくないと思う。懲り懲りだ。これからも人一倍感染症対策を講じながら、健康で文化的な生活を送ることができますように。皆様もどうかお気をつけて。