パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です

旅行記③したいがしたいであるうちに

次なる目的地は、この旅で一番楽しみにしていた出雲日御碕灯台だ。私は灯台が大好き。青い空と海に、白くそびえ立つ灯台。船人の安全を見守り、暗い海に光を照らす道しるべ。時に二人の未来を見つめる場所、という意味を込めて恋人の聖地にもなっていたりする。そういったロマンチックな一面も含めて、とても魅力的だと思う。日本にある3,000基の灯台のうち、中に入って頂上まで登ることができる灯台が16基ある。そのうちの一つがこの出雲日御碕灯台なのだ。更に、石造りでできている灯台の中で日本一の高さを誇るというのだから、絶対に登ってみたかった。

稲佐の浜からバスが出ていたけれど、1時間に1本ほどしかなく、帰りの時間のこともあって難しかった。近くの民宿でタクシーの番号を聞くことに成功し、ほどなくして出雲観光のタクシーが現れた。旅先でタクシーに乗るのは新しい発見があって楽しい。道中、タクシーの運転手さんに日御碕灯台の混雑状況を尋ねながら、出雲大社稲佐の浜にまつわる伝説の話をしてもらった。してもらったが、運転手さんの声が小さくて正直全く聞き取れなかった。私は歴史についての知識が乏しくて、これまであまり興味すらなかったけど、知っていればこうして旅先を訪れた時により深く楽しめることもたくさんあるんだろうと思う。きっと人々はそれを、教養と呼ぶ。

日御碕灯台までの道のりは、海沿いの山道を駆け登っていく。山道から眺める日本海もまた広大で美しかった。タクシーの運転手さんから、日御碕神社について教えて頂いた。国の有形文化財に指定されている由緒正しき神社だそうだ。東海圏では身近な伊勢神宮が「日の本の昼を守る」に対し、日御碕神社は「日の本の夜を守れ」と勅命を受けたとのこと。これだけ聞いてもなんだか昔の逸話にワクワクする。さらには、出雲大社の「祖神(おやがみ)さま」として崇められているらしい。出雲市に来なければ一生知ることすらなかったのだと思うと、旅の行く先は行くべき時に行くべき場所に誘われるものかとスピリチュアルに思いを馳せた。日御碕神社はすべて鮮やかな朱色の境内が圧巻だった。実はここからは時間の勝負で、出雲市駅に17:00までに戻らなければならない。申し訳ながらも足早に参拝を済ませて、走って灯台を目指した。

徒歩10分ほどの坂道を駆け上がると、岩に無数の鳥が留まっている不思議な光景が目前に広がった。後から知ったけど、経島(ふみしま)といって国の天然記念物であるウミネコの繁殖地なのだそう。カモメかと思った。

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しばらくすると鮮やかな貝殻を販売しているお店や食事処が賑わいをみせてきて、観光客も増えてきたところに出雲日御碕灯台が見えた。確かに、これまで訪れた他4基と比べるとずいぶん大きく感じられた。断崖絶壁にあって海と空のロケーションも素晴らしい。記念に写真を撮っていると後ろから「この灯台は何mだと思う?」と角で絵を描いているおじさんに声を掛けられた。灯台を初め全国を回って美しい景色を絵にしているらしい。こういう老後も素敵だな。唐突な質問に狼狽えながら300mと答えた。43mだった。

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おじさんには絵が描ける以外の特技があり、占いができるんだ息巻いた。おそらくは占星術で、生年月日を聞かれた。女26歳、先の人生について気になるお年頃。話半分に占ってもらった。出雲の果てで出会ったおじさんにはこの先もう二度とお会いすることはないのかもしれないと思うと、袖振り合うも他生の縁という言葉が過る。こういった出会いも旅の醍醐味だ。おじさんに笑顔で見送ってもらって、いよいよ灯台のなかへ。鉄のらせん階段が163段と続き、人ひとりがやっと通れるくらいの狭い階段を慎重に上っていく。上から降りてくる人がいて、そのたびに道を譲らないと通れないほどだった。163段は大したことないと思ったけれど、ほぼ垂直に続く階段がかなりキツくて一日中歩いて疲労の溜まった足腰にかなり響いた。上り終えて扉を抜けると日本海が一望でき、絶景が広がっていた。ただ、43mは思っている以上に高くて更に海が真下に広がっているので、さすがに足がすくんだ。風にあおられる浮遊感と、海に向かって引き寄せられるような感覚があり、怖いと見たいのせめぎあいで何度も中に入っては、恐る恐る覗き見るようなしぐさを一人でしていて結構怪しかったと思う。人生で2基目の登れる灯台。地図で自分の現在地を確認して、一人きりでこんなところまでやって来たのかと、非日常を存分に味わった。


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この旅でよくわかった。見たい景色も、食べたいものも、わたしにはまだ山ほどあるようだ。それらを日々の忙しさにかまけていつかいつかと先送りにしてしまうと、きっとそれらは次第に「したいもの」では無くなっていく。体力や財力よりも先に気力が削がれていき、もうどこへも行けなくなった頃に、あの時に決意しても決して遅くはなかったのに、と後悔してしまう。私はそういった後悔に苛まれてしまうことを何より恐れている。随分と使い古された言葉だろうけどたった一度きりの人生、目標も夢もなるべく早く、まだ「したいもの」であるうちに叶えておいたほうがいいはずだ。

一人旅は孤独のようにも思えるが、一番気の合う自分と二人で旅している感覚が常にあって、不思議と寂しさはなかった。まだ私は健康で、足腰も丈夫であり、自分に使える時間と資金は十分にある。これからもまだ知らない街の景色を、食べたことのないその土地のものを、自分の思い出として体験していきたい。

旅行記②あやかりたい

別れを惜しみながらサンライズ出雲を下車し、特大の荷物をJR電鉄出雲市駅のコインロッカーに再び押し込み、身軽さを取り戻した私は、一畑バスを待ち出雲大社へと向かった。参拝方法が他と違うことはリサーチ済みだ。鳥居をくぐったらまずは、祓社(はらえのやしろ)に参拝をしなければならないらしい。これを忘れると、本来のご利益が得られないほど重要なのだそうだ。参道の右脇にひっそりと佇んでいて、知らなければ見過ごしてしまうようなところにあった。調べておいてよかった。一人旅は、頼るひともいないので自分の下調べが旅の充実度を左右する。

しっかりと、今日ここに来られた感謝をお伝えし、再度参道へ。途中、浄池というたまり池を発見した。紫色の鮮やかな花々が咲いていて、きれいだったので思わず足を止めた。この地一体に不思議な魅力があるように感じられたけど気のせいだろうか。印象的だったのは三の鳥居。人々が歩く参道と、神様が歩く神道がきっちりと分けられていて神聖な場所だということが一目見て分かった。周りに生い茂る木々が生き生きとしていてとても気持ちよく、この季節に足を運んだのは正解だったように思う。一人だけど、作法はしっかりしなくては確固たる想いがあり、2礼4拍手1礼はしかと守り参拝した。境内はとても広くて、順に回りながら参拝をしたけれど、全てできたかは分からない。あとで調べて知ったことも多くあるので、もう一度出雲に行くことがあれば再度伺いたいくらいだ。

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参拝を終えて、昼食の時間になった。絶対に食べると決めていた出雲そば。できるだけ有名なところで食べたいという思いから探していると、徒歩15分ほどのところに評価の高いお店を見つけた。天性の食いしん坊、絶対に食事は妥協したくない。少し離れた目当ての店まで歩いて向かうことにした。見知らぬ土地を歩くことも旅の楽しみの一つなのだ。出雲大社周辺でありながらも、海がそばにあるせいか港町の雰囲気を強く感じられた。日差しは強かったけれど、時折吹く風が気持ちよくて歩くことも全く苦ではなかった。訪れたのは「平和そば本店」店の外にはすでに5.6組が列をなしていた。4名掛けのテーブル席を一人で座るのはいささか申し訳ないなと思いつつ、3段の割子そばを注文した。ご丁寧に割子そばの食べ方が記してある案内を見つけてその通りにいただいた。細めでコシのあるのど越しのよいそばが、とてもおいしかった。麺類でそばが一番好きだ。好きになったのは最近だから、年取るにつれてそば寄りになっていくのだろうか。量も丁度良くて、あっというまに完食してしまった。となりの夫婦はカツ丼セットを頼んでいて、私もそれにすればよかったと少しだけ後悔しながら、そそくさとお会計。地元の女性が忙しなく店内を駆け巡っていて、活気のあるお店だった。ごちそうさまでした。

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次なる目的地は稲佐の浜。10月の神在月になると、全国八百万の神様をお迎えする神聖な場所なんだそうだ。平和そばから稲佐の浜も歩いて行けそうだったので、徒歩で向かった。稲佐の浜は、出雲大社から西方の海にある浜に、大きな岩が佇んでいる。ここでもきちんと作法に乗っ取って参拝をした。砂や岩にご利益がありそうだったので、優しく触れてみた。パワースポットを巡りだしたらおばさんの始まりだと会社の同期のあいだで話題になって、妙に納得したことがあったけど、あながち間違いではない。なんか分かるようになっていくのかもしれないな、目に見えない力というものが。


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旅行記①Sunrise Express Izumo

2022年5月6日。午後休をもらい、仕事終わりに駅のコインロッカーに詰め込んでいた大荷物を取り出して、いそいそと東京へ向かった。朝からずっと、これからはじまる一人旅のことを思って心が落ち着かなかった。今回の目的は東京ではない。今回の目的、それは「定期運行している日本最後の寝台列車に乗ること」かねてより、わたしは寝台列車に乗ることにとても強い憧れがあった。初めて寝台列車を知ったのは確か高校生の頃。tumblerというSNSヘッドマークがタイムラインに流れてきたことがきっかけだ。ピンク色の海に浮かぶ妖精が行き先を指し示すような絵が描かれていて、その下にTwilight Expressとある。

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その絵がとても素敵で、一時期待ち受けにしていたこともあったくらいだ。一度この目で本物のヘッドマークを見てみたいと思っていたけれど、私が知った頃にはすでに、他の交通機関の発達によって廃線を余儀なくされていた。いまは「トワイライトエクスプレス瑞風」なるものが新たに走り出している。しかしそれは、一泊50万円ほどする高級な寝台列車で、定期運行はしていない。今の私にはとてもじゃないけれど手が届きそうになかった。乗りたかったのにと、半ば諦めかけていた矢先に出会ったのが、この「サンライズ出雲」だった。

駅は仕事帰りのサラリーマンの姿が多く、大型連休の浮足立った様子は鳴りを潜めてしまっていた。それにしても、東京駅は何度行っても迷う。田舎者に厳しすぎる。どうしても駅弁が食べたかったのに、どれだけ探しても売り場が見当たらない。デパートで客引きをしていたおねいさんを呼び止めて、恥ずかしくも駅弁のありかを3人くらいに尋ねて回った。私のことを誰も知らない土地にやって来ると、たちまち大胆になれる。どうやら、改札を抜けなければいけないようだった。乗車にはまだ3時間もあるけれど、改札を抜けて買いに走った。駅構内はさすがに人でごった返していて、帰省をしていたであろう家族連れ達がキャリーケースを忙しなく引いていた。疫病の流行も、元通りになりつつあると感じた。ようやっと目当ての駅弁屋さんを見つけられて、時間はまだたっぷりあったので、駅弁ランキングのサイトと睨めっこしながら「焼き鯖寿し」を買った。おいしいらしい。

特大の荷物を持っていたためか肩を壊しそうなほど重たくて、力尽きて地下の休憩所で小一時間ほど本を読みながら過ごした。この旅のために宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』と西村賢太の『苦役列車』を用意していたのだ。こんなにも東京を持て余してしまったのは初めてだ。片道11,500円もするのに。さておき、発車時間まであと1時間を切ったあたりからどうにも待ちきれず、ホームへと向かった。すると、発車20分ほど前から駅に入線してくるとのアナウンスがあった。調べによると5分前にしか入線してこないから、最前の面構えを写真に収めるのは難しいだろうとネットに書いてあったのに。アナウンス通り21:25、合図と一緒にサンライズ出雲が威風堂々とやってきた。2階建てなので、普段見る在来線や、新幹線よりもずっしりと大きくて存在感がある。サンライズ出雲は独特な顔をしていて、なだらかな曲線と色合いが少しだけヴォルデモートに似ていた(笑)サンライズを模した赤色のマークが印象的で、初めて見る車体に年甲斐もなく胸が高鳴った。

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おんなじように様々な画角から写真を収める言わゆる「撮り鉄」の男の人が複数名いたので、ひたすら後を追いながら似たような画角で邪魔にならないよう私も撮影を試みた。ちなみに私はどちらかというと乗り鉄です。車内は住宅メーカーのミサワホームが携わっているとかで、洗練されていて思いのほか広く感じられた。たった一人分、およそ一畳ほどのベッドと天井まで広がる大きな窓があって、写真で見るよりもずっと景色が綺麗に見れそうだった。私の部屋(座席?)は念願の2階にあり、更には喫煙可能というこれ以上ないほど贅沢な空間だった。部屋には暗証番号式のロックがあって、女性でも安心して泊まることができる。ささやかな洗面所と、トイレ、そしてシャワーカードをもらうと共用のシャワールームが使える仕様になっている。


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いよいよ発車のとき。まだ東京駅構内には大勢の乗客がいて、その中でサンライズ出雲を知っている人たちは手を振ってくれて嬉しかった。いつもより少し高い目線から見る駅に新鮮さを覚えながら、都会の街並みがゆっくりと横に流れていく。部屋の常夜灯を消すと、さながら銀河鉄道そのもので夜に吸い込まれていくような気がした。22:00を過ぎてさすがに空腹を感じ、遅めの夜ご飯。移り変わる街並みを眺めながらの駅弁はいつもよりもずっとずっと美味しかった。適当にコンビニで調達しなくてよかった。どうせなら、心ゆくまで楽しみたい。

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一晩中電車に揺られるので、乗り物酔いを心配していたけれど、思った以上にサスペンションが効いていて心地よい揺れだった。寝台列車だからか、電車の走る音や金属が当たるような音もどこか小さくて静かな夜だった。ふと、小さいころ夜中に熱を出して夜間病棟へ向かう時、親の運転する車の後部座席で横たわりながら見た街灯を思い出した。うつらうつらしながら流れる街の灯りとリンクした。お腹も満たされた途端、つよい眠気に襲われる。ベッドに横たわっても大きな窓から街の灯りと、雲の切間からほんの少しだけ星が見えて、眠るのがもったいないほどの幻想的な夜だった。何度も横になったり、身体を起こしたり。きっとほかの乗客も皆同じような様子だったに違いない。普段から深夜が好きで、好んで夜更かしをする私はいつもと違う夜の世界を独り占めしている気分になれて本当に楽しかった。


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朝、普段は目覚ましが鳴っても起きられないくらい寝起きが悪いはずなのに、5:00に目が覚めた。いつのまにか空は明るんでいる。日頃の行いが良いためか、清々しいほど気持ちの良い晴天に恵まれた。通過しているのは姫路あたり。まもなく日の出の時間が訪れてこれぞ「サンライズ出雲」の名にふさわしく、美しい景色を見ることができた。ちょうど川に差し掛かるところで、川面に映るオレンジ色の朝焼けが本当に綺麗だった。これだけは一生思い出すんだろうな。


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朝ご飯を食べてもう一度眠ってしまったら、すでに島根県に差し掛かっていた。途中、宍道湖(しんじこ)が目先に広がり、湖のうえを走っているみたいで気持ちがよかった。

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到着が近づくにつれて、降りるのが惜しくなった。そもそもわたしは昔から乗り物が好きで、自分の足ではない何かで遠くへ連れて行ってもらえる感覚が大好きなのだ。車も電車も、目的地を前にすると、あともう少しだけ乗っていたいといつも思う。一晩中乗せてもらえた寝台列車は、私にとってとびぬけて幸せな体験だったのだ。時間通りの09:58。5月7日の山陰の空は青空が広がっていて、さわやかな風が脇を通り抜ける。12時間の夢のような時間を経て、出雲市に到着した。

ナナちゃんのこと

ナナちゃんのことをたまに思い出す。ナナちゃんは高校一年生の頃おんなじクラスで、私とは席がずいぶん離れてて、入学してしばらくはお話しする機会はなかった。ナナちゃんは小顔で高身長で手足も長くて、名前の通り小松菜奈によく似てた。ある日、ナナちゃんが音楽雑誌を学校に持ち寄って休み時間に読んでいたのを見つけて感激した私が、おずおずと話しかけたことがきっかけで仲良くなった。ナナちゃんはその頃、3ピースバンドのandymoriが好きで、そしてチェッカーズが大好きだった。2012年頃、女の子たちは目新しいiPhone片手に友達と写真をいっぱい撮ってデコログっていうサイトに日記を上げることが流行っていたんだけど、ナナちゃんはそんなものに一切興味がないといったそぶりで、どちらかといえば物静かな女の子たちと一緒に本を読んでいることが多かった。私は前者の女の子たちがいるグループと一緒にいることも多かったから、音楽以外の会話という会話は特にしてなかった。あと、女の子のあいだでは透明で厚手のクリアファイルに雑誌の切り抜きを挟み込んで下敷きにするのも流行ってて、私は好きなバンドの切り抜きをたくさん挟み込んで授業中眺めるのにしっかりハマってた。それはナナちゃんもおんなじように、チェッカーズとバンドの切り抜きがたくさん入った下敷きを持っていた。私はナナちゃんと音楽のお話をすることが大好きだった。ナナちゃんを通してまた知らない音楽に出会えることが嬉しかった。好きな音楽がおんなじってその頃は結構珍しくて、周りでは空前のAKBブームが巻き起こってたからマイナーなインディーズバンドの話を心置きなく話せる数少ない女の子だった。私が初めてライブハウスに行ったのも、ナナちゃんとだった。たしか、今池UPSETだった。はじめてのライブハウスはやっぱり少し怖くって、二人で身を寄せ合いながら恐る恐るドリンクチケットでミネラルウォーターを買った。耳がおかしくなってしまう可能性もあるからって、ライブが始まる前に二人で耳栓も買った。準備万端で挑んだけど、やっぱり周りは大人ばっかりで、後ろの方で控えめに眺めてたんだっけ。はじめて全身で感じる音楽に感動したのもその時だった。それからナナちゃんとは、たまに音楽の話をするようになったんだけど、高校2年生でクラスが離れてからは、お互いの存在について気にかけることも無くなってしまった。大学生になった頃、わたしはフェスに行くようになった。不思議なことに、そこで度々ナナちゃんと会えた。本当になんの巡り合わせか、約束もしてないのにナナちゃんと遭遇できた。ナナちゃんも変わらず音楽が好きなこと、とても大人しくてナナちゃんの口から愛だの恋だのについて聴いたことがなかったから、ナナちゃんが男の子とフェスに来てるなんて可愛くて、嬉しくて、会うたびにまた会ったねーなんて少し話して、それからすぐお互いの目当てのバンドへ向かうために別れていった。それからもう何年経ったんだろう。コロナが流行し始めて、フェスもライブも行きづらくなってしまった。ましてや今はマスクのまま入場が義務付けられていて、コールアンドレスポンスも憚られてしまう。昔みたいにナナちゃんのことを見つけられなくなってしまった。ナナちゃんの連絡先はあの頃から実はずっと知らないまま。SNSもやらない子だろうからインターネットを探してもきっと見つからない。今でもナナちゃんは変わらず音楽が好きだろうか。今でもライブに行ったりするんだろうか。ふとこうして、ナナちゃんの近況を知りたくなる日がある。お元気ですか?私は元気です。

ロックンロールはジャンルじゃない

ザ50回転ズのライブ行ってきた。ほくほくと興奮しながら帰路に着いています。今夜はまだ、眠れそうにない。ザ50回転ズのライブの後は決まってキーンと揺れる鼓膜の余韻を耳に感じながら、なんの音楽も聴かずに帰ることが私にとっての定番なのだ。なんだか、今夜目の当たりにした感動が薄れてしまうそんな気がしてこの耳鳴りさえも消えてしまうのが惜しいのだ。

彼等のロックンロールには大爆音が何よりお似合いで、更にいうと出来るだけ小さなライブハウスがお似合いだ。熱苦しい熱気で充満した箱の中でひしめきあう人たちは、性別も年代も見事に皆バラバラでいて、これまで決して交わらない人生だったけど、今日ここで同じバンドのライブに来たという共通点を持っていることだけは確かである。いつも一人きりで聴いている音楽を知っている人間がこの世にはこの箱を埋め尽くすほどいることを知ると、大袈裟だけど私は一人ではないのだと心強く感じられるのだった。

結成から15周年を迎えても、ライブハウスで見る顔ぶれはこれまでとあまり変わらない。常連の人たちが最前列を牛耳っているのを、私はいつも微笑ましく2列ほど後ろから眺めている。彼等のSEは、Dr.Feelgoodの『Riot In Cell Block Number Nine』赤く照らされたステージに勢いよく入ってくる3人を見るやいなやわたしたちは曲に合わせた手拍子で彼等を迎える、最高にかっこよくて心躍る瞬間だ。

彼等の音楽は所狭しにR&Rが宿っていて、さらにはGarage PunkやBluesを感じる曲がある。父が好きだったHard Rockとは全く異なっていて、無骨なヴォーカルスタイル、乾いたチープなギターサウンド、シンプルなコード進行が特徴的。若者の等身大の日常や世界観を持ったバンドが多い。そうだ(Wikiより)。それを知ったところで、だからなんだというか、私は音楽が一つのジャンルに捉われてしまうことをあまり好ましく思っていない。受け手によって変わるものであったり、バンドは進化を遂げながら変わっていくこともよくあるから一つに括ってしまったら窮屈で、そんなのって全然ロックンロールじゃない。

ザ50回転ズの曲は海外からたくさんの影響を受けていて、変わらないスタイルを貫き通しているのは伝わってくるけれど、果たしてそれは本当にPunkなのだろうか?Garageだろうか。彼等は彼等の信じる音楽を今日までずっとライブハウスで鳴らしている。ザ50回転ズという名前のロックンロールが一番正しいのだと思う。どんなバンドとも替えがきかないような、たったひとつで唯一無二の最高にかっこいいロックンロールをしている。年間数百本にも及ぶライブをこなすギターテクニックは、右に出るものなんていない。少なくとも、私のせまい世界のなかでは。何より彼等の音楽は、ただ聴いていることができずに気が付けば腕を力強く突き上げてしまうような、体が疼いて踊り出してしまうような、会場にいる全員を夢中にしてしまう魅力がたくさん詰まっている。

聴いた話によれば、彼等は他のバンドとは違ってメディアを通じて売れることを願っていないという。もっとメディアに出れば、もっと今時の格好をして(今時の格好ってなんだろう)広告やSNSの宣伝に力を入れればいいのにと思うこともあるけれど、ここにもきっと自分達の音楽が分かる奴だけに届けばいいといった強い信念があるんだと思う。知らんけど。私はもっと有名になってほしい、なんて浅はかにも思うけど彼等が望む音楽が出来ているのなら、他に必要なものなんてないんだろうな。

何度行ってもチケットとドリンク代以上の喜びと感動を胸いっぱいに残してくれる。彼等の掻き鳴らすバカバカしいロックンロールを聞くたびに、味気ない毎日を生きていく活力をもらっている。ふと、この素敵な時間が永遠ではないことを思い知らされる瞬間がある。私の悪い癖でもあって、今を楽しむことよりも終わりが来ることを想定して身構えてしまうのだ。失いたくないなと思うけれどその度に、彼等に出会えなかった人生よりも彼等に出会ってから生きる人生のほうが何倍も、何十倍も豊かであることを忘れてはいけないと思う。だからいつかの別れに後悔しないように、こうして足繁くライブハウスに通っている。やっぱり大袈裟だけど、彼等の音楽にたくさんたくさん救われてきたからこそ言える。これからも彼等が音楽を届けてくれるかぎり、誰が何と言おうと、私はザ50回転ズの大ファンであることに変わりはない。

質の悪いエンジン

6年か7年前に書いた日記を開いて読んでいる。今は今期最大、GW10連休一日目の深夜2:11にあたる。今回の長期連休において目標としていた「生活リズムを崩さない」はあっけなく初日から達成することができなかったみたいだ。私は深夜が好きだから仕方がない。普段、健康的な毎日をいやでも強いられている真面目な社会人は、久しぶりの深夜をおいしく味わっているのだ。世間では、睡眠時間が短いことによる健康被害が叫ばれており、将来的に健康を害することは知っての通りではあるけれど、こんな長期連休の最中、早く寝られるわけがない。最近の楽しみは歌舞伎町一番街ライブカメラを覗き観ること。眠らない街、歌舞伎町を行き交う人々を眺めていると不思議な気分になる。カメラに映るラーメン屋の前で、入店を迷う人々を、満腹になって腹を撫でながら退店する豊満なサラリーマンを、この先二度と出会うことのないような身なりをした千鳥足のホストらしき人を。田舎者だからこそ、ささやかな憧れも含んでいるんだろうな。毎日欠かさず眺めている。6年か7年か前の日記には丁度就職活動をしている不安に苛まれた一人の少女が、体重を気にしていてとても可愛かった。あの頃少女だった私も同じく深夜を味わっているときによく文章を書いていた。なんのアテもなく文章をだらだらと書き認めることを好むのは今と何ら変わらないようだ。あの頃の少女にこう告げたい。あれから私は満足な職に就いて、それなりの賃金をもらい、そして今は一人で暮らしをしていること。聞いたらさぞかし驚くんだろうな。就職活動が面倒で、なかなか本腰を入れて取り組めなかった少女は質の悪いエンジンを携えた車のようだと自身を例えていたけれど、残念ながらそれも変わっていない。何かの始まりに抱く情熱なんかはたった数日で朽ち果ててしまう燃費の悪い車は、簡単に治せないみたいだ。それでも私は今の暮らしに十分満足していて、この車で事故を起こすことも少なくなり、扱いにもだいぶ慣れてきた。きっと乗り心地はあの頃よりうんと良いと思う。時の流れの速さはあの頃よりもまたずっと早くなってしまっている。タイヤがすり減る速度も随分と速い。だけど、楽器やジーンズと同じようにその車にはきっとヴィンテージの価値があるから、どうか大切にこれからも乗りこなしていってほしい。そんな風に自分を認めてあげられるようにもなるんだよ。認めてあげるというよりは、自分の身の丈を知って折り合いをつけるにほど近いような気もする。ただそのことにはまだ、気づかないフリをしてあげてほしい。これは、未来の私に向けた願いでもある。深夜2:26。私はもう少しだけ期間限定の深夜を味わうことにする、生活に故障が出ない程度の。

思へば遠くへ来たものだ

毎日のようにやるせなくて泣いて帰ってた仕事終わりの胸の痛みや夜道の風景を鮮明に思い出すことができなくなっていて、まるで遠い遠い昔のことみたい。今私は5年目の春を迎えて、入社後はじめて異動を経験して、名古屋へ金を稼ぎにきています。23時過ぎにオフィスの灯りがついているのを見つけて、どんな日々がまちうけているのだろうと震え上がっていた日から4年も経ったなんて正直信じられないし、いつのまにか私の年次も上から数えた方が早くなっていた。

人の入れ替わりの激しい弊社では、関わる人もガラリと変わって当時の私を知る人間もすくない。毎日毎日代わり映えのない日々のようにも思えるけど、ふと後ろを振りかえればあの日の自分はもうずっと奥に、ちいさく佇んでいる。思へば遠くへきたものだ。

何かを長く続けることができない恥の多い人生を過ごしてきた私が、自分の意思で4年間続けることができた唯一のもの、仕事。もちろんそれは労働の対価が得られるからであって、生活をするためになくてはならないものなのであって、簡単に辞めるという選択肢を選ぶことはできないだけの可能性も間違いなくある。そうはいっても、世の中には簡単に辞めることができちゃうひともいるんだから私は十分すごいのだ。すごいのかな。すごいのかも。

あの頃、壁の向こう側には何があるだろうと幼いわたしはよく思い悩んでいて、一刻もはやく向こう側に見える景色が見たいと願ってやまなかったけれど、4年経った今もなお思いのほか発展途上で、やっとコツを掴んで登り始めた壁の高さに驚いている、そんな感じです。早く向こう側の景色を見たいとか、超えたいとは少し異なる感情で、うまく登れるようになりたい。これが一番近いのかもしれない。もう少し、頑張りたい。向こう4年はどんな毎日になるんだろう。

MOROHA"単独"日本武道館

私がMOROHAを知ったのは5年程前のことで、終わらない就職活動に、先の見えない不安な毎日にいよいよ疲弊していた頃だった。丁度、子供から大人に成熟する段階にあったのだろうと思う。やけに感傷的で世の中に牙を向けて、その割に自分はなんて無価値な人間なんだとよく落ち込んでいたりもする、まだ幼さの残る青年期。あの頃私にとってのMOROHAは励ましてくれるような存在としては縁遠く、努力なんて簡単に報われるわけないんだっていう現実をまざまざと突き付けられるような気持ちになって、よほど精神に余裕のある時でないと聴くに堪えないくらい辛い楽曲だった。今思えばそれくらい自分のことを歌われているような気持ちになったということ。それくらい弱者に寄り添う楽曲だったこと。当事者の身代わりとなって音楽で痛みを昇華してくれていたということ、気が付くには随分と時間がかかった。

時は過ぎ、今の会社に入社して間もなく社会の厳しさを身をもって痛感し、スタートラインの一緒だった仲間から徐々に距離を置かれる自分に嫌気がさした私はまたMOROHAを聴いていた。もがきながら音楽を「やめられなかった人」の曲が骨身に染みてたまらなくて、残業続きで帰る夜道によく泣きながら聴いていた。その時は、優しく響くアコースティックギターとリリックの数々にまだ何者でもない自分の背中を何度も押された。

そんな思い入れのある彼らが初めて武道館の舞台に立つというので、疫病の流行下迷いながらも、行くことを決めた2月11日。当時、就職活動の折ひとりぼっちでよく足を運んだ憧れの東京へ4年ぶりに向かう。仕事にも随分と慣れて、慣れすぎて腑抜けた毎日に刺激を求めていたようなところもある。我慢の限界ともいえる。ここ数年はきっと世界中でそんな思いを抱いている人間がいて、私一人がそこから抜け出してもいいものかという葛藤があったけど、行政からの中止要請がない限り決行するという彼らの晴れ舞台に、どうしても空席を作るわけにはいかなかった。

東京は千代田区九段下の駅に降り立つと、懐かしくてしつこい坂が続いていて運動不足の足には堪えた。正面入り口に大きく飾られた『MOROHA"単独"日本武道館』の文字がとても力強かった。

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席に着いて暗転した瞬間に鳴り響く耳馴染みのあるアコースティックギターのバッキングがズシンと身体に降り注ぐ。MCアフロの叫び声にも似たリリックがとめどなく溢れ、それを受け止めようとするたび全身に鳥肌が疼いた。こめかみあたりに血管を浮き上がらせながら歌うより強く訴えかける彼らを見て、当時の感情が当時の形のまま押し寄せてくるようだった。それをどこか俯瞰してみている"今"の自分がいて、曲を聴いてもあの頃のような痛みを感じていないことに気が付く。それは当時よりずっとずっと強くなれている証拠でもあり、同時に痛みを感じるほど、もうもがいていない日々に対する後悔でもあった。

MCでアフロは言う「MOROHAを応援してくれる奴らは、自分自身のファンになりたい奴ら」だと。私がこれまで行き詰るたびに聴いていたのは、自分を鼓舞するためだけではなくて、もがきながらも歩みを止めない自分を肯定してあげたかったのだと腑に落ちた。この日、日本武道館に居合わせたその他大勢の人間もきっと同じ気持ちだったに違いない。会場全体に鼻をすする音が響いて、満ち足りた空間に私も泣けて泣けて仕方がなかった。

自分自身のファンになれる時が来るまでにはまだしばらく時間はかかりそうだけど、それまでどうか彼らには今のまま歌っていてほしい。「闘うあなたの拳の中にMOROHAはいるから」そんなことを言われたら、イヤでも奮い立たされてしまう。感動を胸いっぱいに抱きつつ、せっかくなのでその足で夜の東京タワーを眺めに行った。夜空に煌々とそびえ立つ東京タワー見て、やっとあの頃の自分が報われた気がした。たくさんの悔しい思い出がある東京、でもずっと憧れていた東京。本当は住んでみたかったけれど、今の生活を手放すのには勇気がいる。今世ではもう無理かもしれない。この憧れの距離感が、私には丁度いいのかもしれないな。束の間の非日常、明日からはまた日常、ふてくされながら過ごすのはもうやめよう。革命起こす、幕開けの夜に立ち会った日の記録。

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ディジュリドゥを吹いてみたい

その人はいつもおかしな話をしてくる人だった。

ある時は猛烈に釣りに没頭していると言い出したかと思えばありとあらゆる釣竿を、様々な種類のリールを、またそれぞれの魚に合わせたエサなどをそろえて、川に海に向かい何時間も何時間も魚と対峙したという。私は釣りをしたことが無いので、さっぱり魅力が分からなかった。またある時は、魚のさばき方に没頭していると言って刺身と寿司の場合とでは魚の捌き方がまるで違うのだと熱弁された。私は食べることのほうが好きなので、さっぱり魅力が分からなかった。またある時は包丁に没頭していると言って、おすすめの出刃包丁と、自宅で手軽に出来る研ぎ方を教わった。私は、包丁なんて切れたらそれで良いと思っていたのでさっぱり魅力が分からなかった。

その人は会うたび何かに没頭し続けていて、飽きたらすぐさまやめてしまう。没頭するたびに買い揃えた数々のアイテムたちはもうほとんどがガラクタになってしまったと笑っていた。私はその人のことが、とてもうらやましいと思う。何かを試したいと思っていても、時間や気力を理由にあれやこれやと言い訳を並べて結局してやらないことがほとんどで、そういう変化を求めないことも含めて大人になることだと思っていたからだ。その人は、何かに没頭するたびに目を輝かせながら、まるで少年みたいに生き生きとした顔でその新しい趣味についての話を持ち寄ってきた。

わたしたちは3ヶ月ほど全く連絡を取らない期間があって、季節が移り変わる頃にふと連絡が来て会うことが多く、そのたびに違う何かを追いかけているので、いつも別の人間と会っているような気分にさえなるのだった。多趣味はお金がかかるよと謙遜を見せたりもしていたけれど、わたしはその人にうっかり影響されてしまって弾けない15万円のギターを買ったりもした。その人が17歳の頃にアフリカンパーカッションのジャンベと、オーストラリアの民族楽器のディジュリドゥにも没頭していたことがある話も聞いていた。元から、人と同じものにはハマりたく無いという性分でいるらしく、ハマるものもどこか周りの一般的な人間と少しズレていてそれがなんだか可笑しかった。そのあとYouTubeでそれらの界隈で有名なアーティストの動画をいくつか見せてくれたけど、ジャンベにもディジュリドゥにも馴染みのない私には、やっぱり魅力が分からなかった。

会うたびにこの人は自分の人生を楽しむ天才だと感心してしまう。わたしはその人が興味を抱いているもののほとんどは共感できないものばかりだったけれど、自分の世界を今よりもっと広げるために、つまらない大人にならないために、その人みたいに生きてみたくてたまらないのだ。またきっと、季節が移り変わる頃連絡が来る気がする。諸事情によって私から連絡を取ることは憚れる間柄なので、もう来ない可能性だってある。でも期待してしまう。次会う時は、どんな顔で、どんな話を聞かせてくれるだろう。

分人(ディヴ)

一人目

彼女はとても天真爛漫で、だれにでも分け隔てなく接することができる。優しさに満ち溢れていて、争いを好まない様子だ。仕事でもめいっぱいの明るさで対人関係をそつなくこなし、愛される人柄でまかり通っている。休日には料理やお菓子作りに精を出し、色とりどりの食事を用意することもしばしば。友人は決して多くないけれど、気の合う友達ばかりで、狭く深く、そして長く関係を続けている。そんな彼女はよく人から「悩み事なんてひとつもなさそうだ」そういわれることが多いらしい。

二人目

彼女は孤独を愛してやまず、隙あらば一人でいられる場所を見つけてそこに何時間も、何日でも居続ける。その時は音を嫌いシンと静かに、その日生きるうえで最低限の栄養と水分を摂取し、身を潜めるかのようにして時が過ぎるのをただ待つばかり。足の踏み場もないような荒れ果てた部屋の隅、キッチンには数日前にこぼした味噌汁のシミと、いつから放置してあるのかわからない洗い物の山。ほこり被るテレビの横に佇む干からびた観葉植物が、水を求めているようにも見える。ただ彼女はなにもしない。できないのだ。

三人目

彼女は世の中のすべてを憎んでいて、自分以外の人間は皆間違いだと思いながら生きている。気に入らないことがあれば、暴れ狂って何もかもを滅茶苦茶に破壊したり、奇声を上げて走り出したい衝動を懸命に堪えながら、まるでまともな人間みたいな顔をしている。ごくたまに壁に頭を打ち付けたり家の家具を叩き壊したりしながら必死に平静を保っているのだそうだ。

四人目

彼女は女性の性を与えられて、それらしく振る舞い、所作や見なりにも気をつけているが実のところそういったものに頓着が少ない。精一杯の努力の末に女性になりすましている。周りの女性は年を重ねながらにして、自分の美しさに磨きをかけているのだが彼女は依然として、興味が湧かないのだ。今でも化粧品やきらびやかなジュエリーよりも、ラジコンやプラモデルの方が欲しいと思っている。

五人目

彼女は生粋の男好きで気に入った異性を堕とすことに日夜、精を出している。好きな男の前ではためらいなく雌の顔をして人のものに手を出すことも珍しくない。背徳感と優越感と承認欲求、そして性欲が満たされればあとはなんでもいいんだそうだ。

にぎやかな5人の女性たちはたった一つの体で、今日もいろんな顔をしている。