パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です

ボリューム満点激安ジャングルに欲しいものなんて何もない話

近所にドン・キホーテがある。深夜まで営業していて、仕事で遅くに帰っても、残り僅かな消耗品のことを急に思い出しても、買いに行ける便利さに日々感謝の気持ちでいっぱいだ。ドン・キホーテは何よりも薄利多売で安物が数多く品揃えられている。この町に越してきて初めて10個入りの卵を88円で買えたときは冗談かと疑いながらも2パック買った。思わず小躍りしながら帰った。安いのは食品だけではない。市内で一番おおきなドン・キホーテだから2階には日用品、美容関連、3階には電化製品までそろっていて、そのどれもが文字通り激安なのだ。そのドン・キホーテを除いては特に何もないこの町の人々にとってはまるで楽園のようなディスカウントストアで、店内を永遠に流れ続けるドン・キホーテのテーマソングにもあるようにボリューム満点激安ジャングルの名に恥じない。何もなかったわたしの1Kアパートの部屋にあるもののほとんどはこのドン・キホーテの代物であるわけだけど、わたしはそれが気に食わない。ドン・キホーテにいくとド派手なポップで端数価格効果を利用した178円だとか298円だとかにまんまと乗せられている自分に嫌気がさしてきた。深夜に訪れるとそこはスラム街と化し、悪い奴はだいたい友達そうな男と、悪い奴はだいたい友達そうな女とがカゴに商品を乱暴に詰め込んで横柄な態度で店員をいびる光景を、目の当たりにすることも少なくない。目を付けられると舌打ちでもお見舞いされてしまいそうな鋭い目つきでくたびれ果てた私に視線を向けるので買い物がしづらいという点がひとつ、そしてなにより安く手に入れたものを人は長く大切にできないことを痛感する。簡単に手放せてしまえるものにお金を払う価値はどこにあるだろう。心ときめく買い物を最近していないことに気づき、さらにドン・キホーテに対する嫌悪感は募る一方だった。ちなみにドンキ・ホーテは何も悪くない。それでもわたしは今日もドン・キホーテに行かなければトイレットペーパーも食材も柔軟剤も何もないのだ。売り場に陳列された商品たちはいつ見ても雑多に積み重ねられているだけで、陳列というよりも投げ売り状態だ。物には少なからず心が宿っているにちがいないと思っているので下品な商品棚を見るたび心が痛むのだった。来るたびに私の本当に欲しいものなんて実はここには何ひとつない気さえしてくる。私はドン・キホーテの巧妙な販売戦略のもとで買うことを強いられているだけなのではないか。そんな気もする。そうはいっても卵が88円で買えるのはここくらいしかないので私はこれからもこのボリューム満点激安ジャングルの奥地へと足を踏み入れていくのだろう。本当に欲しいものほど、簡単に手に入れられてしまっては困るのだ。f:id:rccp50z:20201112123557p:image

拝啓、親愛なる焼き鳥大吉マーサ前店様

大学1年生から3年生の後期まで、地元のスーパーマーケットでアルバイトをしていた。スーパーには珍しく深夜23時まで営業をしていたから時間を持て余す大学生にとっては都合のいいアルバイト先だった。そのスーパーの近くに、こじんまりとした居酒屋があって、毎日のように赤い提灯を灯していた。店内は座席が20席ほど、常連客でにぎわう焼き鳥が売りの店だった。そこで働くのは、すらりと背の高い丸メガネの大将と、口数が少なくも愛想よく微笑む顔が印象的な奥様だ。バイト終わりによく遅めの夕飯にと、バイト仲間数人で足を運んだ。歓送迎会や送別会にもよく利用していて、3年半分のはじめましてやさようならを、この店で過ごした。私が愛してやまなかったメニューは、焼き鳥と言いたいところだけど、〆に頂く「焼きおにチーズ」とリンゴ酢サワーだった。焼きおにぎりの上にチーズが乗っているだけの至ってシンプルなメニューだけど、そこいらの店のそれとはわけが違う。甘じょっぱいピリ辛の味つけのタレと、上に乗ったスライスチーズ、焼きおにぎりの香ばしさとが相性抜群で、格別においしかった。スーパーの仕事は単調な作業の繰り返しに思われるが、数時間立ち続けるのでなかなか体力を消耗する。それに忙しい日曜日の特売の日となれば、1台のレジにズラリと人が連なるので心休まるときがない。そんな仕事を終えたあとに、あたたかい明かりを灯すこの店に入るといらっしゃいという威勢の良い声が聞こえてきて、スーパーとは別のにぎやかさに包まれる。そしてホカホカの黄色いおしぼりを手渡されたとき、ほっと安らぐことができるのだった。つい最近大人になったばかりのわたしたちはそんな風にして、お腹を満たしながらくだらない話で笑いあい、もう何度目かの青春を過ごしていた。あれから私たちは順番に社会人となって、バイト仲間のほとんどが地元を離れしまった。中にはもう二度と会わない仲間もいるんだろう。2020年10月、疫病の流行に伴い客足の途絶える日々が続いた影響で、あの店が24年の歴史に幕を下ろす知らせを受けた。幸いにも私は数少ない地元で就職した側の人間だったので、最後の営業に駆け付けることができた。同じように地元に残っている数人の元バイト仲間とともに、あの店で再会の約束をした。久しぶりに会える仲間たちとあの店のことを想って浮き足立ったまま、そそくさと仕事を終わらせる。バスに乗って懐かしのスーパーの前を通り過ぎ、最後の提灯の灯りを目に焼き付けてから店の扉を開ける。あの威勢の良いいらっしゃいの声も、おしぼりを手渡す奥様の笑顔もなにひつ変わっていないことが心底嬉しかった。バイト仲間たちは当時の思い出話と、近況報告に花を咲かせながら、営業終了時間までこの店との別れを惜しんだ。わたしは言うまでもなく、焼きおにチーズを注文する。いつもは空腹のまま早々にたいらげてしまうけれど、この日は違う。あの頃の思い出と、もう二度と食べることができないこの味を噛みしめて、大切に頂いた。大将と奥様は最後、店の入り口までわたしたちを見送りに来て有難うございました、そう言って深々と頭を下げた。こちらこそ、有難うございました。あの頃の私たちの居場所を、そして今日こうしてまた再会する場所となってくれたこと。本当に、ありがとうございました。私はこの先も焼きおにチーズと大将と奥様と提灯の灯りと、ここで過ごしたかけがえのない時間のことを、忘れることはありません。24年間お疲れ様でした。f:id:rccp50z:20201112123640j:image

昨夜見た悪夢の話

そこはわたしの部屋で、窓からは電車が見えていた。普通ならあり得ない間取りだけど、窓を開けると同じ高さに線路があって、電車が通るたびに乗客と目が合う。突然、けたたましい衝突音とともに女性の叫び声が聞こえた。その直後部屋の窓が大きく割れた。窓の外ではひしゃげた電車のドアから勢いよく放り投げられる人、人、人、電車の加速は止まることなく、飛び交う叫び声は止むことはなく。住んでいる家の壁と電車が接触して起きた事故だった。無残にも、壁と電車のあいだに挟まれる人もいた。私たちは部屋のなかからその地獄絵図みたいな光景を目の当たりにして、立ち竦むことしかできない。電車を止めろ!と男の人の鬼気迫る罵声が聞こえてきて、電車はなぜか進行方向とは逆向きを帰っていった。見るに耐えない姿の人々を乗せて、血まみれの電車を割れた窓から見送ったところで目が覚めた。am2:28。夢占いをする気も起きないくらいひどく怯えていて、ちいさく丸まりながら落ち着きそうな音楽を急いで再生した。しばらくのあいだうまく呼吸ができなくて、恐怖で心拍数はなかなかおさまらない。私の見る夢は、どうしてこう、いつもこうなんだろう。わざわざ記憶をたどって文字に起こすのは、この夢が自分からの自分に対する潜在的なSOSである気がしてならないからだ。幸せな夢はまったく覚えていないくせに、悪夢であればあるほどハッキリと鮮明に思い出せてしまうのはなぜだろう。

つづきの夜に。

高校の頃通っていた塾でなんとなく仲良くなって、なんとなく帰る方向が同じで、なんとなく話の波長の合う友人から、卒業した今でも約半年~1年周期で連絡が来る。それはあまりにも唐突で、大胆で、毎回いつも驚いてしまうけど、久しぶり、の言葉のあとにわたしはできるだけ直近で空いている日にちを提示するのだ。いつもわたしたちはそのようにして、突然会う約束を取り付ける。

わたしたちは互いが別の高校に通っていたから塾の帰り道にそれぞれの高校生活であった出来事や、些細な憤りや、浮ついた色恋話なんかを小一時間話して帰路についていくのが日課だった。利害関係がない分、同じコミュニティの女子たちに話すよりずっと本音を話すことができて嬉しかった記憶がある。そんな夜を地続きにしたまま、今日までつながっているような感覚。わたしたちは公園のベンチからところ変わって居酒屋にて、向かい合わせに乾杯をする。グラスを傾けた瞬間から目にも止まらぬ速さでふたりは会話を始めるのだった。彼女はわたしの性格と相反して、論理的で正義感が強く芯のある女の子。そんなあなたの口からあふれ出る日常に対する意見や、不平不満は他の誰よりセンスがあるからなんだか昔から少しも嫌な感じはなくて、まるで漫談を聞かせてもらっているみたい。悪口にはユーモアが無いと聞くに堪えないからね。わたしよりずっと賢くて、県内の有名な進学校へと進んだ彼女は、自分の意見を貫き通す度胸もあるからわたしまで力強い気分になれて頼もしい。よく二人の話題に上がるのは、隣の青く生い茂る芝生の話だとか、どう解釈しても許せないことや、自分のなかにある正義と、人生に対するわたしたちなりの見解だった。彼女は話すこともさることながら本当に聞き上手だから、普段人に話すことを憚られるパーソナルな過去だっていつの間にか話してしまえる。彼女は論理的で賢いけれど、愚直で人の痛みのわかる女の子だってことわたしは知っていて、きっと話をしても受け入れてくれるだろうと思っていたから躊躇いなく話すことができたんだ。わたしの話した過去は結構重苦しいものだから、できる限りおどけながら話したつもりだったけど、彼女は目に涙を浮かべながら相槌を打ってくれたことが印象的だった。かくいう彼女も、学生時代から悩んでいた家族の話を涙ながらに話してくれた。わたしたちの話題に上がる「隣の青く生い茂る芝生の話」、これはただあの子の芝生はキレイだ、いや劣っている、なんて話しているわけではなくて、その青々とした芝生が完成される背景にある試練や苦労を彼女と私はおそらく、全部わかってる。だから妬みや嫉みのないただ純粋な憧れをお互いに共有できる時間になる。そんな話をできる友人は、数少ない。大抵は青く生い茂る芝生をみてどうしてあの子だけ、どうして私にはないのだろう、と息巻く人のほうが多いから。

他人の芝生をほめそやし、覗き見ることはするけれど、結局のところ自分の芝生は自分に見合う美しさを持っているのだからなんら心配する必要がないんだろうな。彼女と話していると、そんな前向きな気持ちにもなるのだった。いつも彼女の唐突な誘いは、わたしがうつむいているときを狙ってきているみたいで、なんてタイミングがいいんだろう。次の続きの夜があるのなら、今日より前を向いていたい。

 

灯台下暮らし

この8畳1Kでの暮らしを初めて1か月と少し。随分とこの部屋も私のことを家主として認識し、受け入れ始めてくれているのではないかと思う。朝、カーテンを開けると南西向きにある窓から、満遍なく日差しが入る。洗濯物が乾きやすく西日が見られることを理由に、ただそれだけを理由にしてこの部屋を契約した自分に感謝する。24年間住んだ実家の部屋は北向きで、日差しが入ることは一度だってなかった。昼間でもやけに薄暗く湿っぽい部屋に帰ることに嫌気がさして連日帰らない日も多くあった。(もちろん理由はそれだけではない)今の部屋は4階で特段景色が素晴らしいわけではない。すぐそばにある電柱がなんならすごく邪魔なのだが、毎朝その南西向きの窓からしばらく景色を見つめたあと、深呼吸をするのだった。夜、仕事を終えてそばにあるスーパーで適当に食材を買い込み帰宅すると、玄関から程近くにある洗面所から柔軟剤の香りが漂ってくる。実家では母の独断で、特売の安い柔軟剤が使われていたから、自分の好きな香りをまとって過ごせることはなんて気分が良いんだろう。今朝洗濯物を済ましておいてよかった。1Kの部屋のつくりは生活動線が単純で、面倒で後回しにしていたお風呂もいまでは真っ先に済ませてしまえる。実家では一切手を付けることがなかった炊事、洗濯、掃除。ことのほか苦痛なくこなせる自分の以外な一面に驚く。奮発して買った新品の家電製品はどれも自分が選んだ好きなものばかりだから、みな愛着をもって扱うことができるんだろう。連日酷暑が続いているうえ、疫病の流行も関係して外に出ることが憚られるため、一日中こうして文章を書いたり読んだりして過ごしている。部屋を見渡すとついこの間まで一緒にいたひとに組み立ててもらった家具の多いこと、多いこと。これから新しく家具などを迎え入れるときは、いちから一人で組み立てていかなければならないんだな。こんなことになるのなら、最初から部屋に立ち入らないようにすべきだった。新しい部屋なのに、冷蔵庫の奥に洗濯機の中に机の下に面影を見つけてしまって仕方がない。これらもじきに消えていくのだろうか。長い休みを利用して少しだけ実家に立ち寄った。相変わらず真昼間であっても薄暗く、全体的に湿度が高い。築40年はゆうに超えているからところどころに綻びもみえる。けれど、目を閉じていてもどこになにがあるのかが手に取るようにわかるし、思い出で埋め尽くされた自分の部屋の居心地の良さは、新品のそれとは肌馴染みが全く違うように感じられた。住んでいるときは全く気が付けなかった。手を放してみて少し離れた距離から眺めれば、こんなにもすぐにわかるのに。f:id:rccp50z:20201112123712j:image

20200812

わざと部屋の一番目立つところに、あの夜引き渡された大きな紙袋を置いている。そのなかにはわたしが使っていたパジャマとエプロンと洗面用具、そしてもう二度と元に戻ることはないという強い決意が、丁寧に畳んで入れられていた。部屋に入るたびにわたしはその紙袋をしばらく見つめ、まだ微かに残る柔軟剤の香りを嗅いで、日に日に薄れていくことを思い知る。これをひとつの指標とし、じきに消える香りと共に、ふたりの終わりを思い知るのだ。

あの日わたしは去っていく乗り慣れた車のテールランプがやさしく点滅しないことと、運転席の窓を開けて振る手が見えないことをしっかりこの目で確認したあと情けなく駐車場の縁石にへたりこみ、しゃくり上げて泣いた。深夜0時をすぎたアパート前の大通り、わたしを見てギョッとしたまま横を通り過ぎる通行人を気にも留めずに。一向におさまる気配がなかったため夜遅くに忍びないなと思いながら、信頼できる人に立て続けに電話をかけてわたしが泣いている理由を一方的に話し続けた(迷惑な話だと思う)慣れたもので(こういった事態がこれが初めてではないから)電話の向こうの人は励ましの言葉を並べて、泣き止むまでわたしの話を静かに聴いた。深夜、泣きすぎたせいか横隔膜が痛み、そのせいで何度も何度も目が覚めた。染み付いた習慣はこんなことで簡単に崩れることなく、いつも通り6時13分に起きて朝のニュースをながめていたら視界に紙袋がみえてまた泣けた。とくに意識しているわけでもないのに、溢れ出てどうにも止めることができないそれに抗うことを遂には諦めて、醜く腫れたまぶたにいつもより丁寧な化粧を施すのだった。

この苦しみは四苦八苦のうちのひとつ愛別離苦というんだそうだ。それは愛が強ければ同じだけ苦しみもひときわ強く残るという意味のそれだ。かつてブッダ愛する人と死別し"こんなにひどく辛い苦しみを背負うものは自分以外いるはずがない"と嘆く女にたいして「その苦しみを忘れたければ"愛する人を失ったことがない家"だけで採れる果実を探してくるといい、それを食べれば治癒するだろう」そう説いたそうだ。女は、来る日も来る日も探し歩くのだが果実以前に、「"愛する人を失ったことがない"家」を見つけることが出来なかった。ブッダは、愛別離苦は誰にでも起こりうる苦しみの一つであり、愛がこの世の真理(人はやがて死ぬこと・出会った者はじきに別れるということ)から目を背けさせるゆえに、愛を向ける矛先を失った途端、真理を目の当たりにし、苦しむのだと説いた。乗り越える術は、果実を見つけることよりも先にこれらを全て受け止めるほかないのだとも。

今日は近年稀に見る酷暑だった。夕沈みが息を呑むほどうつくしくて、ダイエット中だったけど通りがかったコンビニで新発売のスイーツを思わず手に取り買ってしまった。ふと、愛別離苦についての法話も、巷の失恋ソングも、「失った側」のきもちしか記されていないことにようやっと気づく。わたしが忘れてはならないのは、些細な身の上話を打ち明ける最も身近な人間が手の届く範疇にもういないことと、わたしは真にひとりだということ。そうしてそれを望んだのは、この苦しみを持ってしても一人でいることを選んだのは、まぎれもなく自分だということ。f:id:rccp50z:20200816015427j:image

カスタマイズ人生

今年も無事生きて、25歳をむかえることができました。おめでとうございます。を、ありがとうございます。いくつもの祝福たちを小脇に抱えて、一日中はにかむ頬を内側から噛み締めながら仕事に励んでいた。今年はいよいよ嬉しくなくなるだろうと思っていたのに、誕生日はうれしい日に違いないのだった。なんなら前日からワクワクが止まらないのだった。0時00分から踊り出したくもなったが、25歳なので大人しく過ごすのだった。四半世紀を生きてきた証に、25歳のわたしが見ている景色を残していきたいとおもう。

毎年、誕生日を迎えるひとつきほど前から、これまで書き記してきた4年分の記事を読み返してみる。その度に、当時の幼い自分を俯瞰して見たり、変わらない自分に安堵することがほとんどだが、今年は驚くべきことにたった一年前の記事でさえ、共感することができない。

一年前のわたしは、物事を選択することを極度に恐れていた。自分の選択にひとつも自信が持てなかった。いつも何らかの分岐点に立たされたとき、選ばなかった道の方を向いては、あちらのほうが美しく見えるものだなと選んだ道の景色も知らずに、ただ下を向いて小石を蹴りながら頭を垂れていた。そんなことを繰り返しているうちに、自分が進みたい方向をついには見失って、どの道に出てもわたしが望んだ景色ではなくなっていた。

ふと、わたしが選ぶ道は今まで誰かのための道だったことに気づく。わたしがほんとうに進みたい道などではなくて、誰かがわたしに進んでほしいだろう道を自然と、何の疑いもなく選んでいたから(一度も頼まれてなんかいないのに)いつも踏み出す一歩に躊躇いがあった。誰かの顔色を伺って、NOを伝えることにおびえて、更にはこちらを選んだほうが喜ぶひとがいるからという基準で、わたしは歩いてきた。

25歳を迎えるにあたり、わたしはわたしが望む道のみ選ぶこととした。しかしその瞬間から、大きな勇気を伴うことになったのはいうまでもない。20代も半ばに差し掛かるとその道が、たとえ舗装されていなくても、急な斜面が立ちはだかっていても、すべて歩くことを決めた自分の責任になるのだ。道中で何者かに襲われようが熊があらわれようが、自分の身は自分で守らなくてはならない。

21歳の時分はこうした責任を背負うことがいやでいやで仕方がなくて、だから歳を取りたくなかったんだけど、責任があるからこそ手に入れられる景色を知った今、これからの人生を自分の意志で歩いていけることに誇りすら感じる。大人になれてよかった。もうすこし歳を取ったらたとえば、靴を高く放り投げて上を向いたら左とか、サイコロの目の数だけ曲がるだとか、そういったこともしたい。どんな道に出ようとも、それは初めから進むべきことが決まっており、そのどれもがわたしにとって必要な道であるはずだから。

年始に掲げた脱○○という目標を遂行すべく、必要なものとそうでないものを、慎重かつ大胆に精査してきた半年間。わたしが選んだこだわりの未来は、今までよりも身軽で、ずっと遠くまで飛べそうな気がしている。26歳のわたしも、はたまた30歳のわたしも、自分の選んだ道を歩いていてほしいと願う。その時はどうか顔を上げて、あっというまに過ぎていく景色を目に焼き付けながら、あとはしばらく道なりに。

 

 

 

追伸 一年前の投稿でもわたしは選ぶことについて書いている。

すがる

祖父の納骨式のあと、ちえこさん(父方の叔母)からひさしぶりに会わないかと連絡が来た。祖父の葬式で会ったのが十数年ぶりで、それまではお互いの存在にさして興味がなかったんだろうとおもう。知ろうともしなかったし、知ってほしいとも特に思わなかった。

幼い頃、ちえこさんの身振り手振りの大きい話し方や、おおげさなリアクションが子供ながらにおもしろおかしくてよく二人で笑い合った記憶が多い。母とはやっぱり仲が悪いので、自由に会わせてもらえることは少なく祖母の認知症が発覚してからは父を介して会いに行くことも無くなっていた。

そんなちえこさんからの誘いは少なからずうれしくて、どんな話をしようか、どんな話を聞こうかほんの少し緊張しながらもむかえたその日。最近の身の上話をしている時にふと、ちえこさんから「最近悩んでいることはないのか?」とたずねられた。もちろんあるけれど、、と伝えたところで「そういうことは早く解決しておかなくちゃ、そういえば神戸にとても有名な信頼できる力を持った人がいてね、その人に話すと心が軽くなって、悩み事が晴れて、何事も良い方向に進んでゆくのよ。」まずい、と思った。これはおかしな話だと感じた。かねてよりわたしは自分の身に降りかかる危険にたいする勘は鋭いほうだ。第六感をしんじている。それは、すなわち、いわゆる、宗教の勧誘だった。

しばらく関わり合いのなかった姪を、突然食事に誘ったのは、身の上話をとことん引き出していたのは、すべてこの瞬間のための時間だったのか。この本質的なことを口にせず、察しを求める薄気味悪い感じ。察するまでに要した時間約0.2秒、悲しくなった。

そこからのわたしは早口で捲し立てるように「わたしは悩んでいる、この悩みは日々尽きることはなくなんと毎日増えていく。けれど、わたしには助けを求めればすぐに駆けつけてくれる人と、道を逸れないよう指導してくれる人と、どうしようもない悲しみに暮れたとき話だけを真摯に聞いてくれる人、周りにいるからそういうの、わたし全く必要ない。全然いらない。」一息にそう伝えて、でもせめて空気を悪くしないようにと、そのあとは必死に盛り上げを試みた。残ってる食事をかきこんで、そそくさと帰ってきた。わたしにすがる場所なんて必要ない、わたしはそんなに弱くない。舐めてもらっちゃ困る、こうしてめずらしく腹を立てながら。

2020年-元日-

近所にある氏神様のもとで「仕事御守」を買った。毎日持ち歩いている。いつもは財布に入れているけど、不安に苛まれそうなときはスーツの胸ポケットにいれて、手を添えて願いを込める。長野県に旅行へ行ったとき、パワースポットまで足を運び、有名な石仏様のもとをおとずれた。石仏様の周りを願いを唱えながら三周回って、手を合わせた。その石仏様ならではの唱え方だと、そばに掲げてあってので、しかと守った。するとどうだろう、最近仕事が順調な気がする。気がする。関わる人たちがみな素晴らしく、世界が光に満ち溢れている、気がする。良い 気 がわたしのまわりに渦巻いているようかんじる。感じるだけかもしれません、でもありがとうございます。そう感じることさえ今までしなかったから。お礼参りにいかなくては。ふと、ちえこさんのことを思い出した。目に見えない力にすがり、信仰をもつことは、もしかしたらよい行いなのかもしれないな。

スグナクマンが教えてくれたこと

それは小学生の頃、教室の隅におかれた児童文学書の本棚の中にあった。主人公はクラスメイトにいじめられていて、すぐに泣いてしまうおとこのこの物語。靴の中に大量の砂を入れられたり、給食の時間にスプーンがチョークの粉まみれにされたり、その物語の中に描かれていたいじめはひどくつらいもので、題名に「へんしん!スグナクマン」とあった。

わたしは結末を覚えていない。題名にはへんしん!とあるくらいなのだから、主人公のおとこのこは泣かないように強く、逞しく、なっていくのだろうか。もしくは泣いてしまうじぶんを受け入れて、泣き喚きながらいじめっこに立ち向かうのだろうか。

わたしはすぐに泣く。悲しくて、悔しくて、情けなくて、ときに嬉しくても、泣く。あらゆる感情がすべて、涙に変わる。先日23歳になったばかりなのだから、もうあまり人前で泣くことは普通じゃないことくらい重々承知しているのにもかかわらず、だ。泣いてはいけない。そんなこと言われなくてもわかっている。私だって泣きたくて泣いてるわけじゃない。抑えようとすればするほど、堪えるたびに。瞼の裏で涙が満ちていく感覚が分かるのだった。

泣かない人のことを強いと思う。とはいえ、すぐ泣く人のことを弱いとは決して思わない。すぐ泣くから物事を諦めたわけではないし、すぐ泣くから投げだしたいわけではないことを他の誰よりも分かるからだ。どうしようもないほど言葉にならない想いがあって、吐き出し方や伝え方が分からないから涙が出るのだ。

どういった作用が働いているのか分からないが、昔から泣き腫らしたあと、きまって力がみなぎるのだった。そしてほんの少しだけ、泣く前の自分よりもうまくできることが増えるのだ。よく泣く人にしか分からないと思うけど、「涙の数だけ強くなれる」ありきたりな慰めの一言は、真実だった。

へんしん!スグナクマン、泣ける勇気をたずさえて泣ける強さで、打ち勝って。f:id:rccp50z:20201112123814j:image

昨夜見た悪夢の話

そこは川沿いの広い道路、大勢の観衆がなにやらざわついている。そしてその様子をわたしはテレビの画面から眺めていた。よくある街の風景、だったはずだこの瞬間までは。うしろからズドンと大きな音がして、カメラが写したのは、ひとりの警官の姿。その手には大きな斧。勢いよく振りかざしたあとにみえた。返り血を顔にまで浴び、警察官の青い制服が赤黒く染まっていた。カメラが地面をうつすと血まみれの男がのたうちまわっている。びくんびくんと痙攣するたびに、体から血が噴き出している。警官はふるえる手で斧をにぎりしめたままその様子を呆然と見つめるだけだった。どうやらその警官は、本来そのようにして殺めるはずだった男をかばって飛び込んできた関係のない男に対して、思い切り斧を振りかざしてしまったようだった。慌てふためく観衆の声が悲鳴に変わる。わたしはテレビ越しから目が離せない。ただその男が息をひきとるまでを見届けた。目覚めると、10時を過ぎていてわたしは昨晩どうやら床で寝落ちていたみたいだ。なんて目覚めの悪い夢だろうとおもった。メガネより先にiPhoneを手にとって 「他人が殺される夢」を調べてみた。吉夢らしかった。最近の生活に関係のない描写ばかりで、本来ならば誰か他の人の夢であるはずのものを見ていたような気がしてそこはかとなく不思議だった。そして、言わずもがなもう二度と見たくない夢だった。