パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です

愛は四半世紀にも及び

朝怒鳴り声で目を覚ますこともしばしばあった、私たち以外の(テレビや物語の世界で見る)家族が正月や盆に親族一同があつまる習慣をふしぎにおもっていた、離婚届けを目の前で泣きながら破りすてる母の顔を8回は見た、父は外に女がいることを知っている、20数年変わらない暮らしのどこに愛があるというのか。その答えや意味については大人になってから知った。23歳で家族友達を置いて故郷をはなれ、夫の手を借りずたった1人で子育てをした母を思うと、ひどく惨めで胸がいたむ、叔母からあなたは命がけで育てられたのだと伝えられたのは随分と後からだったけど、そうなんだろうということは、もっと前からわたしは知っていた。

銀婚式をむかえた両親に、祝福をおくる。

両家はたいへん仲が悪く、母はとくに義母のことを忌み嫌っている。わたしに対しても義母に対する罵詈雑言を投げかけ、共感をもとめることもしばしばあった。わたしにとっては、幼いころから大切な祖母であるほかなので良い思い出しか見当たらず、そんな話を振られた時分には、曖昧にうなずくことしかできなかった。

たとえ伴侶の親であろうと一度恨んだらしぬまで恨み続けるのがわたしの母だ。嫌いな相手にも、好きな相手にも、執着するところは昔から人としてひとりの女性として、最も嫌いな一面でもあった。

母は、重度の精神疾患をかかえており、繰り返し引き起こされるヒステリックな発作によって浴びせられる理不尽に悩まされる幼少期をすごしてきたから極度に人を恐れ、そして人の痛みを理解できる人間に育った。よく周りから言われることは、あの家庭環境の中でならあなたは盛大に道をそれる可能性だってあった。どうしてここまで強く、そして社会性をもった人間に育ったのか自分でもよく理解できていない。母親に逆らうことのできなかったせいで、ずいぶんと遅れてやってきた反抗期もようやく終息を迎えようととしているがまだ怒りの感情をうまくコントロールすることが得意ではない。

父に他の女の存在がいることを知ったのは、最近のことだが不思議と何も思わなかった。ただバレなければほかにどういう悪事をはたらいていようとどうでもよかった。言ってしまえば、父にもそういう安らぐ場があるのならそれでいいとさえ。父は、わたしと母の前で理想的な父親を、旦那を振舞ってくれているから何も問題はないだろう。

そんな 普通 ではない家族が離散せず25年も続いたのには、おそらくわたしの存在が大きく関係しているのだろうという自負がある。そしてわたしはそれを、素敵なことだと思う。私が存在していなければ二人はとうに他人となっていたに違いない。

結婚ってなんの意味があるのかメリットがあるのかなんていくら考えても答えは出ない。けれど、勘違いしてほしくないが、幸せな瞬間だって数えきれないほどあった。あまりにも壮絶だった幼少期の思い出が色濃く残り続けているだけだ。

恋人が家族になる瞬間とはどんな気分なのだろうか、子供ができたらどんな相手でも関係を紡いでいかなければならない責任をわたしは感じられるのだろうか、分からないことばかりでどうにも遠い未来の、更にその先の話のような気もしている。自分には縁がないことなのかもしれない、とも。

なにごとも始めることと終わらせることは簡単だ。少しの勇気と勢いでなんと大きなものを背負ってしまったのだろうと後悔することも少なくはないんだろう。そんな後悔さえも愛してゆきながら「続けていく」ことはなによりもむずかしい。

そしてそんな難しいことを25年もやってのけた両親のことは素直に尊敬する。家族となり、わたしをこの世に産み落とし、なかよく老けてゆく両親のようにいつかなりたいとおもった。双方の家族を愛さなくても、ほかに女がいようとも、一生向き合う病に体を蝕まれても、意思があれば家族になれる。そう教えてくれたふたりのすがた。

そんな、9月11日のこと。f:id:rccp50z:20190911005244j:image