パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です

アンチモニー、宝物のメロディ

話したいことなんて山ほどあった。なにを話してもきっと細い目を更に細めて、笑ってくれるに違いなかった。なんでもないようなわたしの暮らしを、会えなかったあいだに過ごしてきた日々のことを、ただ聞いてくれさえしたらそれでよかった。会いに行くことだっていくらでもできたはずなのに、目の前にある自分の時間がいちばん大切だった。あのころ腰の高さまでしかなかった背丈を、追い越したのはいつからだろう。

手紙に書かれた独特の細長い文字や、好きだった布団のにおい、丁寧に愛情を注ぎ育ててきた庭の花の色、しまいにはだいすきだったかぼちゃの煮付けの味でさえ、今日この日まですっかり忘れてしまっていた。自分は思っている以上に、薄情なやつなのかもしれません。

そういえば、聞きたいことがあった。小3のときいくらせがんでもくれなかった宝物を、中学生になってわたしが再びせがんだとき、突然くれたのはどうしてだったの。流れるあのメロディはなんていう曲なの。どこで買ったの。もしくは誰かにもらったの?聞きたいことは、話したいこと以上にやまほどあった。

三年前に倒れてからお世話になっていた市民病院を離れ、終末医療とよばれる延命処置を一切施すことなく、ただその時がくるのをまつばかりの施設に一年前、転院した。連れて行ってくれた叔母(母の姉)は、電車で向かう途中、わざとらしく声をひそめたままわたしの耳元で「そこに行くだけで生気を吸い取られてしまいそうでならないのよ」と話す。

仕事の用事ついでに向かうのもなんだか間違っている気もしたけれど、心の中でこれが最後の機会だと、不思議と確信していた。叔母の言う通り、その病棟はどこも薄暗くやけに静かで、すれ違う見舞いに来た人も、看護師も、皆にこやかに微笑むことすらしなかった。二階へと上がり、病室へ向かう廊下を歩きながら、ほかの患者のことを横目に歩いた。どの患者も、寝たきりのまま足音の鳴るこちらに目配せをするだけだった。おそらく、目配せをすることしかできないのだろう。202号室につくと、三年前に見たすがたとまるでちがう。やせ細った背中を小さく丸めて横たわる姿があった。

そばに駆け寄って顔を覗き込むと、おもわず目を背けたくなってしまうほど、顔を歪めて、苦しそうにしていた。目は固くつむったまま、意識はほとんどなかった。しかし、耳は聞こえていると言われた。たくさん話しかけてはみたが聞こえていたのかは、最後までわからなかった。ほんの少しだけ、おだやかな表情がみえたのは気のせいだろうか。時折、身をよじらせて、なにかを訴えているようにもみえた。どこを探してもわたしの知っている明るい笑顔は、ほんのひとかけらだって見当たらなかった。

呼吸器をつけて、食事は腕から体力を維持するために必要な栄養素だけを補って、そんなのただ生かされているだけだと思った。大切なひとに「少しでも長く生きていてほしい」と願うこと。それは至極真っ当で、正しいことだと思う。けれど、「どんな姿になっても生きていてくれたらそれでいい」なんていうのは健やかに生きている人間のエゴだ。

たとえもう二度と会えなくなってしまっても、温かい手を握ることができなくなったとしても、もう生きることを頑張らなくてもいい、なんて感情を抱いたのは初めてだった。不謹慎と言われても仕方がなかった。どうしてこんな姿になってまで、苦しまなければならないのか。誰に向けていいのかわからない怒りが涙となり、シーツにこぼれおちていく。

回復を望んだり、ましてや願ったりなどしなかったけれどただ一つだけ、わたしは、これからもきちんと生きるから、最後まで見守っていてください。そしてもしいるのであれば、神様、苦しみや悲しみから最も遠い場所へ、はやく連れて行ってあげてください。そう心のなかで祈り続けた。

あの時もらったオルゴールのことを、帰りの新幹線に乗りながら調べてみたけれど、細やかな装飾が施されたそれのことを、アンチモニーとよぶらしい。トロフィーやメダルにも使われる細工のことを指す。これにどんな思い出が詰まっているのか、知ることができなかった。蓋を開けてゼンマイを回す。流れる心地よいメロディに思い出を重ねて、そう遠くないいつか、自分より大切な誰かの手に渡ったときに、この宝物にまつわる話をしよう。それはかつての、貴女のように。f:id:rccp50z:20181217234627j:image