パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です

梅雨生まれ

 

 かかってこい、まだ見ぬ未来。

と、今日の自分めがけて啖呵をきってから早一年。本日をもちましてわたしは22歳です。今年もたくさんの祝福を全身に浴びながら、このブログを更新します。毎年わたしが産まれた日を覚えていてくれて、ありがとう。

もちろん今年も住んでいるアパートの屋上から特大のスピーカーを2つ用意し、緊急速報よろしく町内放送で私の誕生日だということを知らしめたいくらいには、浮ついていました。

もしかしたら今でもあの人は、今日のことを思い出しながら梅雨の空を仰ぎ見て、憂いてくれているのでしょうか?なんて、センチメンタルはさておき、覚悟はしていたものの、驚くほど21歳から22歳への移り変わりに劇的な変化はありません。極めて平凡。祝われることは心の底から嬉しいけれど、バースデーケーキの上で揺らめくロウソクの本数には興味がない。

誕生日とはまるで関係のない話ですが、わたしは年に一度のペースで、運命的な出会いを引き寄せる不思議な力を持っている。今年もきちんとその力が発揮されたのか、良い出会いがあった。ここで言う運命的な出会いとは、これから伴侶になりうる存在という意味ではなくて、生き方や物の見方、価値観その全てがぐうの音もでないほど共感できる人間のことを定義しています。

こんな出会いがこれから先もまだまだ待ち受けているのであれば、歳を重ねていくことも、変わり映えしない毎日をぼんやりと過ごしていくことにも、意味があるような気がしてならないのです。日々を生きていくということは、忘れられない巡り逢いへ続く伏線の回収。とでも言おうか。これがわたしの生きる価値だとしたら、歳を重ねることになんの抵抗もないのです。

個人的見解ではございますが21〜24までの間のおんなたち、区別つかなくない?だいたい同じでしょ。25あたりから妙に落ち着いてきて、大人びていくように思う。去年までの自分と大差はないとはいえ、去年より化粧がうまくなり、去年より美味しいものを食べ、去年より胸を打つ数多の音楽に出逢い、触れ、また一年分は、人生が豊かになったようにおもいます。

今日この日まで大病も大怪我も、なにひとつ患うことなく無事に生き長らえさせてくれた神よ、めっちゃありがとう。まだまだ生きたい、わたしはまだまだ生きたいし、生きなくてならないんです。

来たる23歳は、母が父と結婚した年齢だ。わたしの王子様は一体全体どこにいるのかしら、隠れていないで出ておいで。もしかしたらとっくにもう、出会っているのかもしれないけれど。

かくしてわたしは吹き消したロウソクの煙を眺めながら、こう呟くのでした。

かかってこい、まだ見ぬ未来。