パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です

バースデーガールの憂い

 

「ハタチを過ぎたら誕生日がたのしみではなくなってしまう」

散々人生の先輩たちから、そうおびやかされてきた。

20歳と書いてハタチと読むの "本気と書いてマジ" みたいで好きだった。もう一生、名乗ることはできない。日本のエライ人たちへ告ぐ、各年齢の別称を考えてみるべきであると。

例年通り、日付が変わる瞬間は携帯を握りしめながらみんなからのアクションを待ちわびていた。年に一度主役を飾れるこの1日に胸が高鳴らないはずがなかったし、口角は下がることを知らずそれはそれは浮かれていた。たとえるならば、すれ違うひと一人一人に "わたくし本日誕生日なんです" と伝え握手を求める、あるいはプラカードを空高くかかげ、祝ってもらいながら街中をねり歩きたいほどに浮かれていた。なにが「ハタチを過ぎたら誕生日がたのしみではなくなってしまう」 だ。いくつになろうと誕生日はなにより圧倒的に特別で、かけがえのない日であることに変わりはない。

今年も両手で抱えきれないほどの祝福をありがとうございました。年々祝ってくれる人が増えていくことがあまりにも嬉しい。わたしは自己肯定感が低いから周りからどう思われているのかすぐに不安になってしまうけれど、恐らくその心配は必要ないみたいだ。年に一度、ふだんは目に見えない愛が可視化される日といっても過言ではない。

ところで、わたしはきちんと21歳にみえていますか。毎年重ねる年齢に、どうやら心がついていかない。年を取りたくない理由の1つに、「あらゆる責任の重さが増すこと」がある。20歳まで許されてきたことが、21歳ではなんの前触れもなく突然許されなくなるのかもしれない。そういったものがすごく怖いのです。ほんとうは後ずさりしながら10代に逃げてしまいたい。そんなふざけたことも言っていられないほどわたしたちは驚くべき速さで年をとってゆく。若さという儚いものを武器にすることはできないのだと、気づいてしまうにはまだ未熟すぎるのかもしれないけれど。年相応の立ち居振る舞いを身につけてスキップしながら迫り来る老いに挑んでいきたい。

恒例の誕生日の写真(わたしの家族は毎年ケーキのまえで写真を撮るサイコーのしきたりがある。)は、節目のハタチで終わりかと思いきや、なんと今年も行われた。一年ぶり21度目の両親とケーキを囲んで、電気を消し、バースデーソングを手拍子で祝ってもらう。今年も照れくさくて仕方なかったけれど、めちゃくちゃに愛されていることがお分りいただけるだろうか。こみ上げるありがとうのきもちとともに、ロウソクの火を勢いよく吹き消した。いつかわたしが2人から離れていくその日まで、やるつもりなのかもしれない。

こうして今年も無事、幸せに満ちた主役の1日は幕を閉じ、わたしは誕生日から一番遠い明日を迎える。果たして21歳のわたしに起こりうる一番悲しい出来事とは?一番嬉しい出来事とは。一年後ここに書き記す物語も、どうか素晴らしいものでありますように。

かかってこい、まだ見ぬ未来