パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です

椿町発展街④

 

椿町発展街①

椿町発展街②

椿町発展街③

先輩からの着信に気づく。それは二次会が解散して帰路につこうとしていた矢先の出来事だった。

へべれけの先輩が言う「華木、まさかもう帰ろうとしてんのか?夜はまだこれからだろうが!」帰りたい、と真っ先に思ったけれど、入社2年目のぼくが大先輩の誘いを断れるはずもなく感情が声に表れてしまわないよう平静を装い、応える。

「どこへ向かえばいいですか?」
椿町だよ」
「えっと..もう一度お願いします。」
椿町発展街だよ!」

いつもの居酒屋じゃないのか。「わかりました、向かいます。」スマホのナビに言われた名前を語りかけると、店ではなく商店街の外れにある入り組んだ路地裏が表示された。どうやらほんとうに、街の名前のようだった。

乗り込もうとしていたバスの停留所から繁華街まで続く大通りへと歩き出す。さすがにこの時間は、週末といえど人の数はまばらだった。ふたつ目の信号を右に曲がると見えてくるコンビニエンスストア、それを超えてさらに左に曲がると路地を示す大きなアーケードの入り口に突然出迎えられた。街の名前が記されたネオンの看板は所々黒ずんでいて、見るからに古い。二十数年はここに門を構えているんだろう。一番最後の「街」の文字だけが、虚しく点滅していた。

アーケードをくぐり抜けると、所狭しにスナックやバー、あるいは得体の知れない怪しげな店が軒を連ねている。一度先輩に連れられて風俗街に足を踏み入れたことがあるけれど、そこよりはもっとこう、ポップな感じ。至る所で千鳥足のサラリーマンが群れを成してお互いの肩を支えあいながら右往左往、騒ぎ歩いていた。

先輩に再度電話をする。

椿町?つきましたけど、どこですか?」
「そのまま真っ直ぐだ、突き当たりに3階建てのピンク色のビルが見えてくるからそこの二階な、急げ馬鹿野郎!」と、半ば乱暴に通話を切られた。

酒癖の悪さは社内ダントツ。小さく舌打ちし急ぎ足で酔っ払いたちの脇をすり抜けて向かうと、周りの建物に比べてひときわ趣味の悪い、ピンク色の電飾が施されたビルを見つけた。

二階に上がるとすぐに、曇りガラスで中の様子が全く見えない自動ドアが立ちはだかっていて、勢いよく開いた瞬間、いらっしゃいませ〜、と女性たちの気の抜けた甲高い声が店内に響き渡った。先輩は既に鼻の下を伸ばしながら電話での態度とは打って変わって、おーやっと来たか、とにこやかな表情でぼくに手を振った。

既にぼくへの関心が消え失せたのか先輩は、両脇にいる若い女たちをそばまで手繰り寄せて、クダを巻いていた。こういったつまり、なんだ、キャバクラ?に来るのは初めてのことだった。

カフカのソファに相反する強張った体で周りの様子を伺っていたら、隣に華やかなドレスで着飾った女が笑顔で座って、おしぼりを差し出した。胸元にあるネームプレートを確認してみると、カタカナで「マリ」とある。

「初めまして、マリです。」

ソファに腰掛けるやいなや気がつくと内太ももに手が滑り込んできて、ぼくのパーソナルスペースなどお構いなしだった。仕事柄、普段まったく女性と関わりのないぼくにとって、マリと名乗る女から漂ってくるコロンの甘ったるい香りや、至近距離で向けられる真っ直ぐな眼差しに胸が高鳴ったのは言うまでもない。

これはぼくとマリが初めて出会った、長い長い夜の話。

梅雨生まれ

 

 かかってこい、まだ見ぬ未来。

と、今日の自分めがけて啖呵をきってから早一年。本日をもちましてわたしは22歳です。今年もたくさんの祝福を全身に浴びながら、このブログを更新します。毎年わたしが産まれた日を覚えていてくれて、ありがとう。

もちろん今年も住んでいるアパートの屋上から特大のスピーカーを2つ用意し、緊急速報よろしく町内放送で私の誕生日だということを知らしめたいくらいには、浮ついていました。

もしかしたら今でもあの人は、今日のことを思い出しながら梅雨の空を仰ぎ見て、憂いてくれているのでしょうか?なんて、センチメンタルはさておき、覚悟はしていたものの、驚くほど21歳から22歳への移り変わりに劇的な変化はありません。極めて平凡。祝われることは心の底から嬉しいけれど、バースデーケーキの上で揺らめくロウソクの本数には興味がない。

誕生日とはまるで関係のない話ですが、わたしは年に一度のペースで、運命的な出会いを引き寄せる不思議な力を持っている。今年もきちんとその力が発揮されたのか、良い出会いがあった。ここで言う運命的な出会いとは、これから伴侶になりうる存在という意味ではなくて、生き方や物の見方、価値観その全てがぐうの音もでないほど共感できる人間のことを定義しています。

こんな出会いがこれから先もまだまだ待ち受けているのであれば、歳を重ねていくことも、変わり映えしない毎日をぼんやりと過ごしていくことにも、意味があるような気がしてならないのです。日々を生きていくということは、忘れられない巡り逢いへ続く伏線の回収。とでも言おうか。これがわたしの生きる価値だとしたら、歳を重ねることになんの抵抗もないのです。

個人的見解ではございますが21〜24までの間のおんなたち、区別つかなくない?だいたい同じでしょ。25あたりから妙に落ち着いてきて、大人びていくように思う。去年までの自分と大差はないとはいえ、去年より化粧がうまくなり、去年より美味しいものを食べ、去年より胸を打つ数多の音楽に出逢い、触れ、また一年分は、人生が豊かになったようにおもいます。

今日この日まで大病も大怪我も、なにひとつ患うことなく無事に生き長らえさせてくれた神よ、めっちゃありがとう。まだまだ生きたい、わたしはまだまだ生きたいし、生きなくてならないんです。

来たる23歳は、母が父と結婚した年齢だ。わたしの王子様は一体全体どこにいるのかしら、隠れていないで出ておいで。もしかしたらとっくにもう、出会っているのかもしれないけれど。

かくしてわたしは吹き消したロウソクの煙を眺めながら、こう呟くのでした。

かかってこい、まだ見ぬ未来。

 

椿町発展街③

 

椿町発展街①

椿町発展街②

 

好きな男の前でとことん従順になってしまう女なんて、この世の中に掃いて捨てるほどいるんだろう。そんな女どもの気が知れない。なのに、いつからだ、わたしも気がつけばそちら側の女だった。

ずっと伸ばしていた自慢の黒髪を鎖骨あたりまで切った。今まで一度も染めたことのないヴァージンヘアを、ミルクティーブラウンに染めた。それは決して指図されたわけでも、懇願されたわけでもなかった。ただ店で知り合った好きな男が、そういう女のほうが好みなんだと、わたしの部屋の小さなテレビを観ている時、ワイドショーに出演しているグラビアアイドルを眺めながらぼそりと呟いた。それだけのことだった。

この髪型をどうやら私はとても気に入っている。鎖骨まで切ったことによる視覚的な変化はよっぽど大きかったのか、友人の反響は想像以上だった。美容院に行った翌日、話題の中心がじぶんに向けられる優越感は味わったことがない。はにかみながら当たり障りのない謙遜を並べて、慣れない褒めの言葉をありがたく胸に留めた。

「リラなんで髪切ったの?失恋?」出勤前の更衣室で、アザミだけはイヤな半笑いを浮かべながら執拗に理由を聞いてくる。見当違いも甚だしい。「別にそういうわけじゃないんだけど」無愛想に言い放ち、全く逆の理由であるなんてことは言わないでいた。なんせアザミは口が軽い。自分の身の上話もさることながら、他人の噂話も分け隔てなく人にべらべら話す。まあ、そこに悪意はないからどうにも憎めないんだけれど。

ただひとつ、一番に見てもらいたい人からの連絡は、あの日わたしの部屋を訪れた夜から一切来なくなった。自分からするのはなんだか気が引ける上に意地も邪魔して、一度もしていない。ひさしぶりに連絡が来たのはもう随分と髪の色も抜け落ちた、2カ月後の週末だった。

「リラ遊ぼうよ〜」なんて、この野郎、どのツラ下げて。バカバカしくて、携帯を放り投げベッドに突っ伏したも束の間、数時間後には入念に化粧を施して待ち合わせ場所で行儀よく待っているじぶんを、愛おしく思う。

「久しぶり〜あれ?髪型変えた?絶対前の方が似合ってたじゃん(笑)おれ、リラの長い黒髪すごい好きだったのになー。」

この世に掃いて捨てるほどいる「好きな男の前で従順になってしまう女」はきっと、幸せになれない。どうせわたしはまた、髪を伸ばしてしまうんだろう。

ここは椿町発展街、ほんの少し不器用で、不幸せな女の子たちの居場所。

椿町発展街②


椿町発展街①


「だってそうでもしないと、

別れてくれなかったんだから。」

 

丁寧に整えられた爪と、細長い指のあいだにタバコを持って、深く吸い込んで吐き出す煙の中にみえたあまりにも悲しい表情に、おもわず見惚れていた。

アザミさんの横顔が好きだ。高く筋の通った鼻梁、腰まである長い髪をかける小さな耳、顔の輪郭そのすべてが、うつくしいひとだった。

21歳で結婚し一度店をやめ、離婚を機に先月戻ってきた店のナンバーワンアザミさんが打ち明けてくれた昔話を、待機時間に聞いていた。週の半ばのこの時間に来る客なんて殆どいない。互いの指名客がくる予定時間まで余裕は十分にあったから、暇つぶしがてら話をする予定が、思いのほか踏み込んだ内容にまで発展してしまった。気まずい素振りを醸し出すことすらも失礼にあたる気がして、さほど興味がないふうな顔を装って、一言一句聞き逃さないように聞いた。

元夫と呼ぶことさえも愚かな男の嫉妬と束縛は想像を絶するもので、表向きは専業主婦であったものの、その内訳は監禁に程近いものだったらしい。外部との交流はすべて禁止されたその異様な結婚生活に耐えられるはずもなく、結婚してまもなくアザミさんから別れを切り出した。無論、一筋縄ではいかなかったようだ。

一度、店に出勤してくるやいなや大声で泣き出し、傷だらけの足を抱え込んでうずくまるアザミさんを見かけたことがあった。ひどく酒に酔っていてその日はずっと裏方にいた。きっとあの日その男との離婚に関するやりとりのすえに暴力を受けたのだろうと思う。暴力のひとつやふたつ、やりかねない。

やっとの思いで離婚を承諾されたにも関わらず、要件を飲み込むために突き出された条件はお金だった。愛も、情すらも感じられないその選択に、落胆するアザミさんの表情は安易に想像できた。別れ際に金を引き合いに出してくるなんてアザミさんに見合わない、さぞかし下品な男なのだろう。「わたしなんで間違っちゃったんだろうね。子供がいなかっただけ、まだ救いよ。」鼻梁にシワを寄せて笑う独特な微笑みは、悲しげだったけれどいつも以上に美しいと思った。大人になると女は悲しいときほどよく笑うようになってしまうらしい。

結果、自由と引き換えにその男に貯金300万円をすべて渡して家を出た。決して安くはない金額に対して、1mmたりとも後悔はないと言った。

そんな話が終わる頃には、「まあ昔の話だけどね」なんて愉快に笑い飛ばしていた。わたしも合わせて笑った。しばらくしてアザミさんの指名客が訪れた。大手商社の代表取締役を担う、この店では名の知れた常連客だ。

「そんな男には絶対、引っかかっちゃダメよ?」なんてひとかけらの説得力もないアドバイスを投げかけて、客席に向かうアザミさんを目で追いかけながら思う。

やっぱりアザミさんの横顔が好きだ。

ここは椿町発展街、おんなのこたちは過去の記憶もあの時の感情もねじ伏せながら、今日も、笑顔で。

スプリング・ハズ・カム

四月が来てもわたしは原宿の裏通りにある花屋の前で100パーセントの男の子と運命的にすれ違う見込みなどなく、それどころか75%の恋も85%の恋もする兆しすらなかった。かつて100パーセントだった男の子のSNSは2日に一度覗いていて、この野郎もうここまできたら彼が彼にとっての100パーセントの女の子と結婚するその日までネットートーカーを全うしてやる。木っ端微塵にあなたへの思いが砕け散るまでずっと見届けていれば、その頃には、きっとわたしも。

食べ物の前で無様に非力なわたくしは、特に見せる相手もいないせいか六キロも太った。就職活動なんか早々に嫌気がさしてきて、説明会も履歴書もろくに行かず書けず、狭い部屋で自己嫌悪にまみれながらのたうち回っている、そんな春。桜はどうやら今週末には見頃をむかえるのだそうです。

先日、めちゃくちゃ嫌いな女と偶然最寄り駅で真正面から鉢合わせた。逃げ場なんてなかった。嫌いな女を嫌いたらしめる過去の出来事なんて、まるで綺麗さっぱり忘れ去ったかのような満面の笑みを浮かべ手を振ってきて、拍子抜けしてしまった。人を嫌いでい続けることは、好きでい続ける以上のエネルギーを有するとはよく言ったもので、互いに許したわけでも許されたわけでもないけれど、別にもう、正直好きでも嫌いでもなんでもなかった。他人以上友達未満な関係といえば収まりがいい。わたしも対抗して笑顔で手を振り返してやればよかったんだけど、さすがに突然の出来事でうろたえた。あの状況で笑顔をひねり出し更には手まで振ることができる精神力に恐れおののく。ものすごく露骨に、嫌な顔をしてしまったのは大人気なかった。もう二度と鉢合うのは御免だ。

味覚にしろ、自身の体験にしろ、苦味を味わえるようになってきたのは大人に近づいた証だということでここはひとつ。コーヒーがおいしい、バイト帰りの一服がなによりの至高。少しずつほんの少しずつだけど、自分が大人に変わりゆく手応えを感じている。四年目になってやっと大学に在籍して本当に良かったと気づき始めたと思えば、400万円で手にした自由は残すところあと一年もないらしい。自堕落で愛おしい、宙ぶらりんの毎日を嚙みしめて。

はるぎらい

 

どうして年度の変わり目と別離の季節を、春にしたのか昔の人の方針に納得がいかない。出会いの季節でもあるなんて言うけれど毎年あたらしい出会いに比べて、別れのほうがよっぽど多いとは思いませんか。そもそも出会いと別れを同じ季節にするなんて、どうかしてる。

せめて別れを冬にしておけば、どうしようもなく立ちはだかる切なさの矛先を厳しい寒さにむけて、紛らわすことだってできるだろうに。四つもある季節のうちにこんなにもあたたかくて、あたらしい植物が彩りを増す明るい季節にする必要はなかったんじゃないだろうか。

寒さがやわらいだ春の陽気を肌に感じて、桜の開花宣言のニュースを目にするたびに、頭をよぎる過去のさよならのワンシーンに胸をしめつけられてしまう。いつだって大切な人とのお別れは暖かいこの季節が連れてきた。

ほとんどのお別れは一生会えなくなるわけではないし、国内なら都合を合わせる意思があれば、会いに行ける。それでも身近に存在し共有してきた時間が長ければ長いほど、そのひとから受けてきた施しが多ければ多いほど、別れは辛いしいつまでも慣れることはできない。出会ったからには別れなければならない厄介な世の常に抗う事もできずに、別れ際にこれまで積み重ねてきた 今 がどれほど大切だったのか思い知らされる。

「縁があって、天が動けば」

これは恩師がおしえてくれた大切な言葉。きっと何回離れようと、別れがあろうと、縁があればまた会えるんだろうと信じています。執拗に出会いに感謝するやつらがすごく嫌いだったけど出会いに感謝せざるを得ない場合もあるのだと、だいすきなひとたちとの別れを経験してやっと理解することができた。別れを惜しむほど大切に思えるひとたちに出会えることは幸せなことなんだろうなあ。別れたひとたちにとってわたしもそう思われる存在でいれてたら嬉しいです。「繋がりのなくなったあともそれぞれの暮らしは続いていくのであって、友情や愛情が過去形となって尚、幸せを願う。共にあった日々の愛おしさ、素敵な人生を」

 

きみのヒーロー③

きみのヒーロー①

きみのヒーロー②

毎日を健やかに過ごしていくことも、いくらお金や時間をつぎ込んでも惜しくないと思える生き甲斐があることも、信頼できる友人がたくさんいることも、なんだかんだものすごく将来に希望を持っていることも、なにひとつ悪いことなんかじゃない。だってわたしは、まだ生きているのだから。

叔母さんのもとから帰ってきたお母さんが明け方わたしの寝室を訪れてきつく抱き締めてきた。母親に抱きしめられるなんてのはいつぶりだったろう。そのときに強く思ったことがある。それは決意に近い、とても簡単なことだった。「このひとのために絶対わたしは先に死んじゃいけない」なにがあっても死んじゃいけないんだってたった3秒間抱き締められただけで、思った。どんな終わりであろうと、あれがあの子の運命であって、わたしの命はまだ続くのだと。わたしは命題を課せられた。罰ではなく、命題を。

わたしがこんなにも強いのは、ひとりでも十分に生きていける力がついているのは、今この時のためだったのかもしれないとさえ思える。小学四年生のときにお母さんに一度だけ 死にたい  と泣きながら訴えたことがあった。わたしの家は四階だから下手したら助かる高さだけど飛び降りようとしたことがあった。コンマ1秒で平手打ちが飛んできた。親に殴られたのは後にも先にもそれだけだった。もしかしたらあの瞬間があるのとないのとではまた人生は大きく変わっていた可能性がある。

笑顔の裏に、努力の陰に、強度や種類は違えども人はそれぞれ悲しみを抱えている。

救えなかったこんな身近な命のことを生涯忘れるはずがないけれど、いつまでも感傷に浸るほどわたしの毎日は退屈ではなくて。

会わない時間のほうが長かったぶん、立ち直りも早かった。あなたの諦めた人生をわたしがしっかり請け負った。わたしはわたしのためだけにわたしの人生を生きるけど、その重さは二人ぶんということにする。

きみのヒーロー②

昼間、人と会っている時や用事を済ましている時は全然平気。いつも通りで、何も考えてない。なのに夜になると、夜が更けると、どんどん不安になってきて 罪悪感に苛まれてきて、今日この日を楽しく健やかにすごしてしまったことがひどく後ろめたく思えてしまってとってもつらくなる。悲しくて寂しくて人が亡くなるっていうのは、人が一人いなくなるっていうのはこういうことだったんだね。

おじいちゃんが亡くなった時は、きちんと命が終わる順序を見せてくれたというか、まあ歳も歳だったし。それなりに納得して死を受け入れることができたから、悲しかったけどちゃんとさようならができた。でも今回はぜんぜん違う。突然いなくなっちゃってさよならもできなくてもう二度と会えなくて。十数年も会ってなくて思い入れもあまりないことがまた切なくて。血が繋がっている家族が、たったひとりの従兄弟がいなくなった悲しみは、すごくすごく大きい。

亡くなった本人のきもちは憶測でしか考えられなくて、もしかしたら死んでよかったって思ってるのかもしれない。あーあやっと楽になれたなって、次の人生に期待をこめた行動だったのかもしれない。ほんとうのところは何も知ることはできない。でも残された人たちのことを考えると本当にいたたまれない。叔母さんはご飯も口にできなくて、ずっと自分を責めて後悔しながら泣いてるんだって。いまは寄り添うことしかできないし、叔母さんまでおかしな真似してしまわないようにしておかなきゃ。悲しみがまた別の悲しみを生んでしまうことだけは、阻止しなくちゃいけない。

そんなひとりぼっちの夜に突然悲しみの波がドッと押し寄せてきてたまらなくなってsnsに頼った。誰かに聞いて欲しくてひとりじゃどうしようもできなくてたすけてほしくて。でも友達なんかに気軽にできる話じゃないし、共有するには少し重すぎるからって、悩んでて。

そしたらすぐに連絡をくれたひとがいた。あ、彼氏ではない。電話して吐き出したら心の鉛が外れたみたいに軽くなって、声を出して泣くことができた。そのときやっと従兄弟が自殺したんだって言葉にして受け入れた。

そのひとは取り留めもない話をずっと聞いてくれただけ。内容が内容だったし、わたしはワンワン泣いていて 掛ける言葉が見つからずに困らせたと思うけど、ただ聞いてくれるだけでよかった。めちゃくちゃに救われた。聞いてくれたのがその人でよかった。その人も吐き出す先が俺でよかったって言ってくれて友達には話さなくても大丈夫だよって、悲しみをはんぶんこしてくれた。本当にありがとうありがとうありがとう。

やっぱりその夜もなかなか眠れなかったけど、吐き出す前よりはだいぶ穏やかな気持ちでいれた。ただ言葉にして吐き出すだけでこんなにも救われることがある。難しい言葉とか誰かのどこかの受け売りの言葉なんか必要なくてただ寄り添って吐き出して受け止めてくれる人がいるだけでこんなにも違うんだって思った。従兄弟にもこういう存在が一人でも一人だけでもいたら変わってたのかな。わたしも誰かが同じような状況に陥ったら、ぜったい同じようにしてあげるんだ。

きみのヒーロー①

ありきたりな感情だけど、悪い夢だったらいいのにっておもった 昨日の夜は眠れなくて頭が痛かった。朝からお母さんが電話に向かってむせび泣いていて現実みたいだった。今朝 憔悴しきっているであろう神奈川の叔母さんの元へ向かうためにお母さんを駅まで送ってきた。亡くなったのはもう一週間も前の出来事だった。マンションから飛び降りたとのことで、何階からかは聞けなかった。

やるせない って多分今使うべき言葉なんだと思う。やるせないよ、なにも施してあげられなかったんだもん。世界はね、ほんの19歳で全てを理解できるほど狭くはなくってさ、地平線の先が見えてくるのはもう少しあとからなんだよって教えてあげたかったな。世界はこんなに広いんだ、ぼくはどうしてこんなちっぽけなことで悩んでいるんだろうって思わせてあげれてたら、結末は違ったかもしれないとおもうんだけど。でもきっと、そうじゃないんだよね。そんな容易いことじゃなかったんだよね。あの子はあの子にみえている世界の中で狭いとか広いとかじゃなくって限界だったんだよね。でもさ、まだ小説でいっても まえがき あたりだったんじゃないの?まだ物語の序章にもさしかかってないのに自分で破り捨てるなんてひどいよ。死ぬ勇気があるくらいなら生きることだってできたんじゃん。飛び降りてうっかり助かっちゃって骨折ぶら下げた手を親にぶん殴られてふざけんなって怒られて。ぼくは死んじゃダメな人なんだって思い知らされればよかったんだ。なんで死んじゃうかなあ。わたし死にたいと思ったことなんかない。まだめちゃくちゃ生きたい。行きたいライブがあるし出会いたい人がいるし聴きたい音楽があるし読みたい小説があるし食べたいご飯があるし。就職も結婚も出産もぜんぶ一通りやりたい。失敗するかもしれないけどやりたいよ。だからまだ、全然生き足りない。

助けてあげたかったなんてよく言うよね、こんなに生きたがっているわたしが死にたがってるひとのきもちなんて分かるはずないんだもん。だけど、わたしがどうしてこんなに生きたがることができるのか少しくらい教えてあげれたとおもうんだけどな。それからおまえ男でしょチンチンついてるんでしょって一発股間蹴り上げて喝入れて、真っ直ぐに続く道のこと教えてやりたかったな。あの時はまだお互い、ケツ青かったもんね。成長したきみはわたしの背丈を超えていたんだろうか。

残念ながらばーちゃんきっと老い先短いだろうし、それなりに覚悟してて。近い将来そういう場で会って久しぶり変わったね、って言い合うの楽しみにしてたんだけど。ケツが青かったときの顔しか思い浮かばなくてごめんね。わたしのことはきちんと覚えてくれてるのかな。

線香、あげさせてもらえないみたい。さよならも言えない。法律っていうのはさ、お堅いものだよね。みんな泣いてるよ。ちゃんと愛されてたんだよ。なにに絶望しちゃったんだよどれだけ追い詰められてたんだよ、ほんと。そっちに行ったってつまんないでしょうが 何があっても何を思っても終わらせたらダメなんだって、それだけはほんとにダメだって。馬鹿野郎馬鹿野郎馬鹿野郎。ほんとにほんとに馬鹿野郎。わたしあんまりひとに暴言吐かないけどさ、馬鹿野郎だよ。

わたしはこれからも生きるよ、ずっとずっと。きみのぶんまでなんて綺麗事絶対に言わない。言ってやらない。わたしはわたしの人生をきちんと全うする自分で手放したりしないから、見ててよね。気づいてあげられなくてごめんね、力になれなくてごめんね痛かったかな辛かったかな苦しかったかな、たくさん悩んだよね。ほんとはほんとは死にたくなんかなかったよね。良い人生を生きたかったに決まってるよね、でも、楽になれましたか。悲しいよ、すごくすごく寂しいよ。いまはただ悲しみに打ちひしがれるしかできない。ひどく、無力だ。

利他主義とバクシーシ

 

先日読んだ記事にあった 印象的な一節。

ちょっとした親切に感謝の念を抱いたのなら、あなたも誰か身の回りの困っている人に、同じようにちょっとした親切を施してください。いや、別にお金をあげてくれとかそういう意味ではないです。自分のできる範囲で、ささいな親切を施してくれればそれで結構です。

ここに出てくる バクシーシ(施し)

これは日本でいう「因果応報」と同じだろうか。「情けは人の為ならず」にも似たニュアンスを感じる。よくインドへ自分探しの旅にでる人々はもしかしたらこの概念を学ぶために行くのかもしれない。わたしにはバクシーシの精神が欠けている。最近よく思う。わたしのまわりにいる友人たちにはこれが程よく身につけられていて 当人たちにとればなにも特別なことではないようだけれど、わたしにとってそれは日常的に意識するにはとても難易度の高いものだった。自分以上に相手のことを思いやる、いわば「利他主義」がまるで備わっていないとかんじる。

これは一人っ子であることが大きく関係している。といったら全世界の一人っ子に失礼に聞こえるのかもしれない。が、生まれた時から愛情を一身に受け育ち、それを折半するでもなくおなかいっぱい独り占めして蓄えながら この歳まで生きてきた者は少なからず兄弟がいる者たちよりかは分け与えるだとか、自分よりも相手に尽くす「利他主義」に欠けているのではないだろうか。

そんなことを思いながらsnsで人の誕生日について考えていた。誕生日は、冠婚葬祭の次にその人の、ひととなりが垣間見える瞬間なのではないかとおもう。祝いを施す人、物、規模。それが派手であればあるほどその人が周りにもたらしてきたバクシーシを感じられる。

もちろん自分の誕生日は素晴らしいものだった。すばらしくなかった年は、ない。何人もの人がわたしのために祝いの言葉を、ものを、気持ちをくれた。それに対してわたしはきちんと返すことができているのだろうか。不安になった。自分はあれだけ祝ってもらったくせに、感謝しているくせに同じ大きさのお返しができないのだ。それは金銭的余裕にも関係するけれどそれでももう少し人のために自分の身を削るべきだと、自分の中にいるもう一人の自分が言い聞かせてくる。毎月の給料は自分の娯楽に当てているし、プレゼントをくれたあの子にはまだ返していない。物の有無で感謝の念は計れないといえど一番わかりやすい気持ちの伝え方であることは確かだ。

なによりもひとを優先して考えられるとある友人が不思議で仕方ないし見習うべきだと心底思う。バクシーシのようにその人に直接ではなくても、自分が受けた恩はあらゆる形で人に与えていかなければいずれ、循環が滞ってわたしには回ってこなくなってしまう、そんな不安に苛まれていた。一人っ子だからなんて言い訳はよして、わたしは人のために生きれる人になりたい。まだまだわたしの芝生は青くない。