パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です

はたらく

毎日こてんぱんに叩きのめされている。今まではどうにかして逃げ道を探して避けてきたおおきな壁にまっこうから向かっていかなければならない。それは想像を絶するほど高く分厚く、なんならトゲとかもあって。まだその壁を登る手段も得てないわたしは壁のすぐそばでクルクルと回っている。年次の高い先輩たちにまずはトゲの攻略方法を教わる。あれ、けどこのトゲって本当に取っていいんですか?取る道具ってどこにありますか?ってかここにある赤色のトゲって取っちゃって大丈夫なやつですか?登る手段にすらまだ達していないわたしの道はまだまだ険しく長く果てしないのでしょう。

運良くわたしの上司は、今まで接してきた誰よりも厳しく、何よりも正しい。この人の言うことをひとつ残らず聞いていればいつかは壁を登れる気がする。早く登れ、早く登れ、うしろからどんどん背中を押されるから前に進まざるを得ない。しかし驚くべきことに、それをわたしは嬉しく思う。

今まで避けてきた多くの壁たちにわたしは未練があった。それを超える手段を誰にも聞かずにいた。その壁を越えられなくても誰ひとりとして迷惑を被らないからだ。けど今はそうではない、壁の向こう側に、わたしが乗り越えるのを待っている人がいる。乗り越えることを期待しているひとがいる。その期待を裏切るわけにはいかない。どうにかしてでもわたしは壁を乗り越えていきたいとおもう。それが実は間違っていようとも、壁の向こう側には更なる険しい壁が再び立ちはだかっていようとも、超えることを選択したのは自分なのだから、きっと後悔はしないはずだ。登ることをあきらめることはずっと容易い。

これから続く、労働という壁。乗り越えた先になにが見えているのかわたしには知る由もないけれど、何を見ることができるのか、興味がある。早く登りきりたい。いつになるのか分からないができるだけ早く、できるだけ遠くに行きたい。労働は覚悟していた以上に厳しくて険しくて、だけど何もなかったわたしにとって唯一本気で向き合えるものだ。どうかこの想いだけは忘れずにいたい。忘れないでくれ。いつのまにか増えている 心の宝物 を増やしていきたい。悔しくて、ときには嬉しくてたまらない夜を増やしていきたい。

春になるまで帰らない

あなたとの夜を、何度想像しただろう。あなたとの夜を何度、想像しただろう。あなたはとっくの昔にもう人のもので、手には入らなくて、手に入れてはいけなくて、だからこそ欲しくて、でも決して多くを望んだりしなかった。

だから、二人きりの時間を過ごそうとあなたから言ってきてくれたときはどうしようかと思ったわ。今までどれだけ我慢してきたことか。好意を伝えたときもあったけど、本気に思われたくなくて、おどけてみせて、でもずっとわたしはずっと、こうなりたかった。今日という日が早くきてほしいような、一生来ないでほしいような。身悶えるきもちで約束までの二週間を過ごした。何度も頭の中で想像していたあなたのキスをせがむ顔はずっと真面目で、どこか間抜けで、いつも見る顔とまったく違って見えた。やっと見せてくれた二人のときにだけ見れるその表情だけで、天にも昇る思いがしたの。行為に至ることができたのが重要ではなくて、そういうきもちをね、あなたもわたしと同じように抱いていたという事実がただただ嬉しくてたまらなくて、最初から最後までウワノソラだった。毎分単位で、今、わたしは一年前に恋焦がれていたあなたの腕の中にいることを実感して、噛み締めて、胸と体に深く深く刻んだの。あなたの身体は熱くて、なめらかで、だけどがっしりと強い男の体をしていた。そう言えば鍛えているんだって自慢気に話してたっけ。

わたしね、周りの女の子より体がおおきいことが自分の最もキライなところだったのに、抱きしめてくれたときに想像より小さいんだね、骨格とか。こうしてみなきゃ分からなかったって言われた。あなたが大きいからそう思うだけだろうと思ったけど、わたしにとってそれは最大限で、究極の、女の子扱いだったの。わたしの体を優しく撫でるあなたの手は温かくて、太くて、触れた部分からどんどん熱が上がって行くような気がした。その手がわたしに触れていることがそもそも奇跡のような夢のような出来事で、わたしはどうしてもこの喜びを一人きりで消化するにはしばらくの時間を要すると思って、いまあなたに送り届けてもらったその足で、朝焼けの中を歩いて早朝のファミレスでモーニングを食べてる。

だけどやっぱりどう考えたって、夢だったんじゃないかとおもう。夢だよって言われたとしてもやっぱりそうですかハイわかりましたって納得してしまうくらい現実味がない。例え夢だったとしても、わたしはなんていい夢を見たんだろう。やさしくやさしく包み込むように抱いてくれた。あんなにゆっくり愛してくれるとは思わなくて、やっぱり想像とは違ったわ。何度も見てきたあなたの眼差しを独り占めして、あの時間だけはきっとわたしのもので、間違いなくわたしも、あなたのものだった。ぜったいに秘密の、わたしとあなただけの重大なかくしごと。一夜のうつくしい事件を、誰かに聞いて欲しくてたまらなくなるけれど、絶対誰にも話したくなんかない。そんなきもちは初めてで。こんなことがあったら、いつものわたしならすぐにだれかに連絡してしまうけれど、この話を口にするたび思い出がどんどんすり減って遂には消えてしまうみたいにおもえて、きっと誰にも話さない気がする。

勝手な想像よりずっと柔らかなくちびるを、下唇ばかり吸うキスのくせを、優しく触れる指先を、おおきなあなたの体つきを、ずっとわたしだけのものにしたかったたくましい腕を、わたしの前だけで見せてくれたいつも通りの笑顔を、ホテルに至るまでの恥じらいを、ホテルを出たAM5:30の空の明るみを、火照った体をほどよく冷ますまだすこし肌寒い春の朝焼けを、道沿いに咲く七分咲きの梅を、舞い上がるきもちを、行き場のない切なさを、わたしはきっと、今日からずっと、忘れることはないのでしょう。たとえ忘れたとしても、いつか薄れたとしても、春がくればいくらでも思い出せる気がする。

ピンクネオン

月末にはここをやめるの。毎週火曜日に訪れる常連のその人はお酒を飲む手をピタリと止めて、わたしの顔を覗きみた。それは、本当に?兼ねてからわたしはただのアルバイトにすぎなくて、一生をここで従事するつもりはないということを伝えていたはずだったけれど。その報告があまりに唐突だったのか、その人はひどく落ち込んでしまったようにみえた。

 水商売に足を踏み入れたきっかけは、友達のそのまた友達の紹介だった。簡単に稼げる仕事があるんだけど、やってみない?その話を受けるまで興味もなければ関心すらなく「そういう仕事」をすることはいけないことだと認識していたわたしが「そういう仕事」をするなんて思ってもみなかったんだ。だけど時給は今までしてきたアルバイトの倍あって、都合のいい仕事だと軽い気持ちで入店した。初めのうちは、水商売にまつわる偏見がどうしてもぬぐいきれなかった。親にバレたら、友達にバレたら、きっと軽蔑されるにちがいない。水商売の世界には、生い立ちに難があり、金銭的な事情を抱えている貞操観念のゆるい女が男をたぶらかし、お金を巻き上げていく卑しいものだと信じてやまなかった。 

  わたしは幼い頃から人よりずっと真面目で、親の存在が絶対的な一人っ子だったから言うことはよく聞いていた。逆らって叱責されることを何より恐れて、とうとう反抗期なるものはやってこないまま成人した。せめてもの反骨心、わたしは心のどこかで「不真面目になりたい」ずっとそう思ってきたんだろう。しかし、今なら言える。わたしは全くの無知だった。想像通り貞操を守らない女も、その日暮らしの女もいたが、水商売は人一倍の気配りと、献身的な心遣いが必要な、根性のいる仕事だった。ただ笑い、色目を使いながら男にお酌をする「不真面目」な仕事では決してなかった。

わたしが在籍していた店は、系列店を含めると4店舗。その全てを取り仕切るママがいた。そのママがかつて一斉を風靡していた頃、馴染みだった客が今でもママに会いに来て、昔を懐かしみながらお酒を嗜む場所だった。二十数年来の常連客がほとんどを占めていて、今は地元を離れ働いている人も遠方から訪れては、あの頃は良かった、そう口を揃えて皆おなじ話をしていた。わたしの知らない時代を生きた大人たちが話す思い出話は、どれも愉快で突拍子もなく、なにより破天荒だった。現代の若者たちにはとうてい理解することができないであろう血気盛んな時代の話をよくしてくれた。

ママは幾度となくわたしたちに教示する。女にしか出せない愛嬌あるやわらかい笑み、丸みを帯びたからだつき、男を癒し、もてなす数々の建前、その全てが武器であること。自分自身が商品であるこの世界で、己の美醜に対する関心はもちろん、客席での立ち居振る舞いには厳しかった。身なりのなっていない女に、男たちの多くは蔑んだ品のない言葉を投げかけて、優位に立とうとした。そういった対象には絶対なりたくなかった。水商売をはじめてからわたしは「身の丈に合った華やかさで自分を着飾ること」がどれだけ大切なのかを身をもって学ぶことができたんだ。女としての価値がなければこの世界では生きて行けない。この店で働いているホステスたちの多くは、自信に満ち溢れている顔をしていた。

客に好みの顔立ちだからという理由で、尻に触れたことを咎めただけで、頰にキスをするだけでささやかな おひねり がもらえた。自分のお金で買うには躊躇う様々なものを買い与えられ、同伴でこれまで食べたことのない贅沢な食事にありつけた。ここにいることはわたしにとって、例えるならばゆるやかな毒だった。甘くてやわらかくて、わたしの自尊心を一切傷つけることのないその毒は、それが悪しきものだとは気づくことができない。わたしたちが男性に建前を並べるように、男性たちもまたわたしたちを華のように扱った。「自分のためにお金と時間を費やしてくれる人がいる」そういった誰かに必要とされているという確固たる自負が、ここにいると誰よりも強くなる。誰しもが容易に、自分がまるで高貴な女にでもなれたかのような錯覚に陥ることができる。それは一度手に入れてしまえば手放し難いものだった。このままいたらゆるやかに、そして気づかないうちに堕落していく。そんな恐怖がわたしの中にうずまいていた。

就職を理由に、わたしはこの世界から最も美しいかたちで退くことを決意した。ほとんどは客やキャスト同士のいざこざに苛まれて翌日から忽然と姿を消す終わり方が多く、きちんと最後の日を伝えやめていくことに驚かれた。非常に稀なケースらしい。店での関係といえどあまりにも個人に深く関わりすぎる仕事柄、どうしても感謝を伝えたかった。こうして客ごときに情を抱くあたりがことごとく、この仕事が向いていないと感じる瞬間だった。最後の夜、辞めることを事前に伝えた客たちがたった数時間わたしと隣で話すために、20組近く訪れた。最後までわたしを口説き落とそうと前のめりになって食事に誘う人も、架空の就職話を真に受け応援してくれる人も、わたしに会えなくなることを嘆き悲しみながら4セット居座った人も、もう会うことは無いのだと思うと、ほんの少しだけ寂しかった。これだけ多くの人に自分自身が求められることは、この先経験することがない気がする。この場所で全くの別人として過ごした夢のような一年はたまらなく楽しかったけれど、ここはきっと長く居ていい場所ではない。さようなら、もう二度と戻ることはないだろう。 

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昨夜みた、悪夢の話

そこはわたしの家で、確か夜で、両親は眠っている。突然猛烈な吐き気に襲われてわたしは暗闇の部屋を這いずってトイレに辿り着く。そのトイレは六畳ほどの部屋の奥にポツンとある洋式。便器を抱え込んだままうずくまってずっとずっとずっと吐き続ける。酒を飲みすぎたせいなのか、体調が芳しくないからなのか分からない。けれどそれはとめどなく、勢いは収まることなく。いつのまにか起きてきた母親が居間にいたから苦し紛れに塩水とタオルを頼んだ。すると床にもう一人母親が寝転んでいることに気づく、しかしそれが本物ではないことは何故だかすぐに理解した。そのもう一人の、「偽物の母親」はとても苦しんでいるようにみえる。とても痩せこけていて、小刻みに震えている。母親だから助けてあげたいと手を差し伸べようとするも、本物の母親に引きとめられる。助ける必要などないと。なぜなら ソレ は、偽物だから。明らかに苦しそうな 偽物の母親 を横目に、わたしの吐き気はまだ治らない。吐き続けていたら父親も起きてきたが様子がおかしい。わたしを見つめるその眼差しがあまりにも冷ややかでわたしは汚したトイレを必死に拭いて泣きながら謝っていた。父親は偽物の母親を足蹴にして仕事に走って出て行った。その後ろ姿があまりにも寂しくて、虚しくて。苦しそうな偽物の母親はまだわたしに助けを求めている。助けてあげたい助けてあげたい、でも、できない。僅かに残された力を振り絞ってふらつきながら立ち上がったその偽物の母親には両腕がなかった。顔面は赤黒く腫れ上がり、先ほどまで横たわっていた床には黄色のシミがいくつもできている。ふらつく偽物の母親を支えようとしたら本物の母親に頭を掴まれ壁に叩きつけられた。どうしてこんな目にあわされているか分かってる?分からない?じゃあ教えてあげる。痛みはないが、叩きつけられた壁に血が流れているのがみえた。わたしの吐き気はまだ、おさまらない。

白いブラウス溶かしてメロディ

始まる前のあの独特な雰囲気は何ものにも例え難い。今まで感じたことのない空気に気圧されてしまいそうだった。緊張感に似ているものの、どこか浮ついた空気を肌に感じて。ほんとうは一人で見に行こうなんて大それたこと思っていたけれど、きっと入り口のネオン看板を写真に収めてそそくさと帰っていたに違いない。それほど、わたしにとって勇気のいる体験だった。場内に入ったときの物珍しそうにわたしたちに視線をむける観客のおとこのひとたちとどうしても目を合わせることができずに、足元の木の木目ばかりを気にして歩いた。

何も悪いことはしていないはずなのに、ここにいることが間違っている気がしてならなかった。開演20分前に到着したから座席はあらかた埋まっていて、わたしたち5人は前から2番目と3番目の端に別れて座った。

ステージから正面に向かって伸びる花道と予備知識で身につけた円状の回転するステージ、通称「ベッド」があった。ベッドの真正面はもちろん埋まっている。観たあとだから言えるけれど、本当はそこで観るべきだった。

入り口で手渡されたタイムスケジュールに目を通してみると、演者のプロフィール(生年月日、デビュー、スリーサイズ)と時間が記されている。ストリップの演目の数え方が「1景、2景」だということはこの時に初めて知った。場内が暗くなって、音響が響く。想像以上に音が大きくて既に緊張で高鳴る鼓動に、拍車がかかって息苦しい。それでも今から目撃する未知の世界に見入る準備はできていた。

まず初めに伝えるとするならば、「衣服を身につけていない」ことに対する抵抗感や、それを眺める自分に対する羞恥心は1景が終わる前には消え失せる。そこから先は、あっという間に進んでいくステージを目に焼き付けようと必死だった。なぜなら決して写真や映像に収めてあとから見返すことができないからだ。次のストリップ嬢はどんな演出で、どんな衣装を着て、それをどういう手順で脱いで、どんな表情で暗転からあらわれるのだろうと、いつの間にか心待ちにしている自分がいた。

これは当たり前のことなんだけど、ステージにイヤイヤ立ってる人なんてひとりも見当たらなかった。もしかしたら「やらされている人」がいるかもしれないと思っていたのに。もちろんキャリアの差がある故に表情の固さや、表現力の違いはあれどそれもまた一つの個性に過ぎなくて、どのストリップ嬢の目からも誇りや、自信や、力強い意思を感じることができた。そしてなにより自分を一番美しく表現する魅せ方を、全員が心得ていた。

ストリップはアンダーグラウンドカルチャーなんていう類にすることがそもそもの間違いで、まあ、きっと大人のなんやかしらの事情で決して公にはできないものなんだろうけど、いけないものにすることをストリップ嬢たちは決して望んでいない。より多くの人にストリップの素晴らしさを理解してもらいたいんだと、わたしたち(女性)に向けられた眼差しから汲み取れた。

身内以外であれほど赤の他人の、しかも同性の裸体を隅々まで観られる機会は日常生活では一切ない。あるとするならば銭湯だけど、不特定多数の人に「見られること」を意識し、磨き尽くされた完璧な裸体を目撃することはないはずだ。自分との違いや演者一人一人と見比べることもまた一興で、恐らく自分のフェチシズムに合うストリップ嬢が必ず一人はいるんだろう。

終演後、わたしたちは興奮冷めやらぬまま浅草の街を歩きながら、感想を共有して帰路についた。口を揃えて観に来てよかったと漏らし、ストリップ嬢の艶やかな指先の動きを真似てみたりしたものの、到底及ばなかった。

かつて300軒ほどあったストリップ劇場は今や全国で20箇所ほどしか存在せず、現存している劇場も経営難や風営法とのせめぎ合いの中で衰退の一途を辿っている。東海地方唯一の劇場がありがたくも岐阜にあるので、年内に足を運んでみようとおもう。

椿町発展街⑤

 

モテるでしょう、顔を見て目を合わせるたび男の人は皆、そう言う。そんなことないですよ、わたしは謙遜を試みる。夜の仕事に従事するおんなのこたちは皆、自分の価値を知っている。それが年を取るたびに磨り減っていくものだということを知らない。価値のあるうちは下手に値が下がるようことじぶんから絶対にしないし、価値のわからない男には決して親切にしないだろう。

初めて会うお客様に与える第一印象ってすごく大切で、席に着いた時きちんと目を見て話せるか否かが場内指名を貰えるチャンスに繋がるのよね。ほら、人は7秒で印象が決まるって言うじゃない。いただきますってはにかみながらグラスを突き合わせば、コンマ1秒で相手は堕ちるの。わたしくらいになると堕ちた手応えは、目を見ればわかるわ。マリは焼き鳥と生ビールの中ジョッキを交互に口にしながらわたしに語り始める。

それから男の人はわたしをどうにかしてプライベートへ連れ出そうと口説きはじめるの。ぼくはこれだけお金を持っていて、こんな車に乗っていて、昔こんなことを成し遂げて、それから、それから。

話なんて半分も聞いていないけれど、すごいねさすがだねえって笑顔で相槌を繰り返せば簡単に喜んでくれるし、打ち解けたら連絡先だって教えてくれる。ここまでいけばあとは頻繁に連絡を取り合って、来店へ促すだけ。プライベートでは一切会わない。男って、バッカよねえ。

客の名前?まあ一応は聞いてあげるわ。よほど印象に残らない限りおぼえるなんて無理よ。おんなじ名前がいたら特徴も名前の後ろに書いたりして記録しておくけど例えばそうね「49歳 歯茎 色黒」とか。違う違う、悪口なんかじゃないって(笑)お客様の大切な情報なんだから。わたしに忘れられるよりはずっといいでしょう?

マリは大学時代に始めた夜の仕事からすっかり抜け出せなくなって、26歳になった今もなお続けている。若さを振りかざして闘えるのは20代前半までだなんて口が裂けても言えなかった、これからも言わない。マリはこの仕事がきっと、好きだから。

「そういえばこの前きたお客さんなんだけど」

わたしよりずっといろんな人間に会う機会が多いから出会ったお客さんの中で印象的な人がいれば話してくれる、中には常軌を逸した変人の話なんかもあるから、この言葉で始まる体験談はいつ聞いても面白い。ところが、マリは中ジョッキと食べかけの焼き鳥をそっと置いて話し出した。いつもと様子が違うようだった。

 「好きになっちゃったみたい」

 先週末にきた若い客に恋をしたと切り出してきた。職場の付き合いで仕方なくやってきた男は夜の店にきたのは初めてだといって、店での振る舞い方や、システムについて尋ねてきたのだという。武勇伝をひけらかすわけでもなければ口説いてもこない、ただただ世間話をして1セットで帰っていった。このエピソードのどこに彼女がその男に惚れるに至ったロマンスが散りばめられているのかといえば私にはまるで分からなかったけれど、確かにマリにとっては隣に着いたその瞬間から自分がその男に惹かれる音がしたのだという。彼にマリの笑顔は通用しなかった。なぜなら一度もこちらに目を向けてこなかったからだ。

椿町発展街④

 

椿町発展街①

椿町発展街②

椿町発展街③

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先輩からの着信に気づく。それは二次会が解散して帰路につこうとしていた矢先の出来事だった。へべれけの先輩が言う「華木、まさかもう帰ろうとしてんのか?夜はまだこれからだろうが!」帰りたい、と真っ先に思ったけれど、入社2年目のぼくが大先輩の誘いを断れるはずもなく感情が声に表れてしまわないよう平静を装い、応える。

「どこへ向かえばいいですか?」
椿町だよ」
「えっと..もう一度お願いします。」
椿町発展街だよ!」

いつもの居酒屋じゃないのか。「わかりました、向かいます。」スマホのナビに言われた名前を語りかけると、店ではなく商店街の外れにある入り組んだ路地裏が表示された。どうやらほんとうに、街の名前のようだった。乗り込もうとしていたバスの停留所から繁華街まで続く大通りへと歩き出す。さすがにこの時間は、週末といえど人の数はまばらだった。ふたつ目の信号を右に曲がると見えてくるコンビニエンスストア、それを超えてさらに左に曲がると路地を示す大きなアーケードの入り口に突然出迎えられた。街の名前が記されたネオンの看板は所々黒ずんでいて、見るからに古い。二十数年はここに門を構えているんだろう。一番最後の「街」の文字だけが、虚しく点滅していた。

アーケードをくぐり抜けると、所狭しにスナックやバー、あるいは得体の知れない怪しげな店が軒を連ねている。一度先輩に連れられて風俗街に足を踏み入れたことがあるけれど、そこよりはもっとこう、ポップな感じ。至る所で千鳥足のサラリーマンが群れを成してお互いの肩を支えあいながら右往左往、騒ぎ歩いていた。先輩に再度電話をする。

椿町?つきましたけど、どこですか?」
「そのまま真っ直ぐだ、突き当たりに3階建てのピンク色のビルが見えてくるからそこの二階な、急げ馬鹿野郎!」と、半ば乱暴に通話を切られた。

酒癖の悪さは社内ダントツ。小さく舌打ちし急ぎ足で酔っ払いたちの脇をすり抜けて向かうと、周りの建物に比べてひときわ趣味の悪い、ピンク色の電飾が施されたビルを見つけた。二階に上がるとすぐに、曇りガラスで中の様子が全く見えない自動ドアが立ちはだかっていて、勢いよく開いた瞬間、いらっしゃいませ〜、と女性たちの気の抜けた甲高い声が店内に響き渡った。先輩は既に鼻の下を伸ばしながら電話での態度とは打って変わって、おーやっと来たか、とにこやかな表情でぼくに手を振った。既にぼくへの関心が消え失せたのか先輩は、両脇にいる若い女たちをそばまで手繰り寄せて、クダを巻いていた。こういったつまり、なんだ、キャバクラ?に来るのは初めてのことだった。フカフカのソファに相反する強張った体で周りの様子を伺っていたら、隣に華やかなドレスで着飾った女が笑顔で座って、おしぼりを差し出した。胸元にあるネームプレートを確認してみると、カタカナで「マリ」とある。

「初めまして、マリです。」

ソファに腰掛けるやいなや気がつくと内太ももに手が滑り込んできて、ぼくのパーソナルスペースなどお構いなしだった。仕事柄、普段まったく女性と関わりのないぼくにとって、マリと名乗る女から漂ってくるコロンの甘ったるい香りや、至近距離で向けられる真っ直ぐな眼差しに胸が高鳴ったのは言うまでもない。

これはぼくとマリが初めて出会った、長い長い夜の話。

梅雨生まれ

 

 かかってこい、まだ見ぬ未来。

と、今日の自分めがけて啖呵をきってから早一年。本日をもちましてわたしは22歳です。今年もたくさんの祝福を全身に浴びながら、このブログを更新します。毎年わたしが産まれた日を覚えていてくれて、ありがとう。

もちろん今年も住んでいるアパートの屋上から特大のスピーカーを2つ用意し、緊急速報よろしく町内放送で私の誕生日だということを知らしめたいくらいには、浮ついていました。

もしかしたら今でもあの人は、今日のことを思い出しながら梅雨の空を仰ぎ見て、憂いてくれているのでしょうか?なんて、センチメンタルはさておき、覚悟はしていたものの、驚くほど21歳から22歳への移り変わりに劇的な変化はありません。極めて平凡。祝われることは心の底から嬉しいけれど、バースデーケーキの上で揺らめくロウソクの本数には興味がない。

誕生日とはまるで関係のない話ですが、わたしは年に一度のペースで、運命的な出会いを引き寄せる不思議な力を持っている。今年もきちんとその力が発揮されたのか、良い出会いがあった。ここで言う運命的な出会いとは、これから伴侶になりうる存在という意味ではなくて、生き方や物の見方、価値観その全てがぐうの音もでないほど共感できる人間のことを定義しています。

こんな出会いがこれから先もまだまだ待ち受けているのであれば、歳を重ねていくことも、変わり映えしない毎日をぼんやりと過ごしていくことにも、意味があるような気がしてならないのです。日々を生きていくということは、忘れられない巡り逢いへ続く伏線の回収。とでも言おうか。これがわたしの生きる価値だとしたら、歳を重ねることになんの抵抗もないのです。

個人的見解ではございますが21〜24までの間のおんなたち、区別つかなくない?だいたい同じでしょ。25あたりから妙に落ち着いてきて、大人びていくように思う。去年までの自分と大差はないとはいえ、去年より化粧がうまくなり、去年より美味しいものを食べ、去年より胸を打つ数多の音楽に出逢い、触れ、また一年分は、人生が豊かになったようにおもいます。

今日この日まで大病も大怪我も、なにひとつ患うことなく無事に生き長らえさせてくれた神よ、めっちゃありがとう。まだまだ生きたい、わたしはまだまだ生きたいし、生きなくてならないんです。

来たる23歳は、母が父と結婚した年齢だ。わたしの王子様は一体全体どこにいるのかしら、隠れていないで出ておいで。もしかしたらとっくにもう、出会っているのかもしれないワ。

かくしてわたしは吹き消したロウソクの煙を眺めながら、こう呟くのでした。かかってこい、まだ見ぬ未来。

 

椿町発展街③

 

椿町発展街①

椿町発展街②

好きな男の前でとことん従順になってしまう女なんて、この世の中に掃いて捨てるほどいるんだろう。そんな女どもの気が知れない。なのに、いつからだ、わたしも気がつけばそちら側の女だった。

ずっと伸ばしていた自慢の黒髪を鎖骨あたりまで切った。今まで一度も染めたことのないヴァージンヘアを、ミルクティーブラウンに染めた。それは決して指図されたわけでも、懇願されたわけでもなかった。ただ店で知り合った好きな男が、そういう女のほうが好みなんだと、わたしの部屋でテレビを観ている時、ワイドショーに出演しているグラビアアイドルを眺めながらぼそりと呟いた。それだけのことだった。

この髪型をどうやら私はとても気に入っている。鎖骨まで切ったことによる視覚的な変化はよっぽど大きかったのか、友人や客の反響は想像以上だった。美容院に行った翌日、話題の中心がじぶんに向けられる優越感は味わったことがない。はにかみながら当たり障りのない謙遜を並べて、慣れない褒めの言葉をありがたく胸に留めた。

「リラなんで髪切ったの?失恋?」出勤前の更衣室で、アザミだけはイヤな半笑いを浮かべながら執拗に理由を聞いてくる。見当違いも甚だしい。「別にそういうわけじゃないんだけど」無愛想に言い放ち、全く逆の理由であるなんてことは言わないでいた。なんせアザミは口が軽い。自分の身の上話もさることながら、他人の噂話も分け隔てなく人にべらべら話す。まあ、そこに悪意はないからどうにも憎めないんだけれど。

ただひとつ、一番に見てもらいたい人からの連絡は、あの日わたしの部屋を訪れた夜から一切来なくなった。自分からするのはなんだか気が引ける上に意地も邪魔して、一度もしていない。ひさしぶりに連絡が来たのはもう随分と髪の色も抜け落ちた、2カ月後の週末だった。

「リラ遊ぼうよ〜」なんて、この野郎、どのツラ下げて。バカバカしくて、携帯を放り投げベッドに突っ伏したも束の間、数時間後には入念に化粧を施して待ち合わせ場所で行儀よく待っているじぶんを、愛おしく思う。

「久しぶり〜あれ?髪型変えた?絶対前の方が似合ってたじゃん(笑)おれ、リラの長い黒髪すごい好きだったのになー。」

この世に掃いて捨てるほどいる「好きな男の前で従順になってしまう女」はきっと、幸せになれない。時間がかかるかもしれないけれど、もう一度神を伸ばそう。黒に戻そう。

ここは椿町発展街、ほんの少し不器用で、不幸せな女の子たちの居場所。

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椿町発展街②


椿町発展街①


「だってそうでもしないと、

別れてくれなかったんだから。」

 

丁寧に整えられた爪と、細長い指のあいだにタバコを持って、深く吸い込んで吐き出す煙の中にみえたあまりにも悲しい表情に、おもわず見惚れていた。

アザミさんの横顔が好きだ。高く筋の通った鼻梁、腰まである長い髪をかける小さな耳、顔の輪郭そのすべてが、うつくしいひとだった。

21歳で結婚し一度店をやめ、離婚を機に先月戻ってきた店のナンバーワンアザミさんが打ち明けてくれた昔話を、待機時間に聞いていた。週の半ばのこの時間に来る客なんて殆どいない。互いの指名客がくる予定時間まで余裕は十分にあったから、暇つぶしがてら話をする予定が、思いのほか踏み込んだ内容にまで発展してしまった。気まずい素振りを醸し出すことすらも失礼にあたる気がして、さほど興味がないふうな顔を装って、一言一句聞き逃さないように聞いた。

元夫と呼ぶことさえも愚かな男の嫉妬と束縛は想像を絶するもので、表向きは専業主婦であったものの、その内訳は監禁に程近いものだったらしい。外部との交流はすべて禁止されたその異様な結婚生活に耐えられるはずもなく、結婚してまもなくアザミさんから別れを切り出した。無論、一筋縄ではいかなかったようだ。

一度、店に出勤してくるやいなや大声で泣き出し、傷だらけの足を抱え込んでうずくまるアザミさんを見かけたことがあった。ひどく酒に酔っていてその日はずっと裏方にいた。きっとあの日その男との離婚に関するやりとりのすえに暴力を受けたのだろうと思う。暴力のひとつやふたつ、やりかねない。

やっとの思いで離婚を承諾されたにも関わらず、要件を飲み込むために突き出された条件はお金だった。愛も、情すらも感じられないその選択に、落胆するアザミさんの表情は安易に想像できた。別れ際に金を引き合いに出してくるなんてアザミさんに見合わない、さぞかし下品な男なのだろう。「わたしなんで間違っちゃったんだろうね。子供がいなかっただけ、まだ救いよ。」鼻梁にシワを寄せて笑う独特な微笑みは、悲しげだったけれどいつも以上に美しいと思った。大人になると女は悲しいときほどよく笑うようになってしまうらしい。

結果、自由と引き換えにその男に貯金300万円をすべて渡して家を出た。決して安くはない金額に対して、1mmたりとも後悔はないと言った。

そんな話が終わる頃には、「まあ昔の話だけどね」なんて愉快に笑い飛ばしていた。わたしも合わせて笑った。しばらくしてアザミさんの指名客が訪れた。大手商社の代表取締役を担う、この店では名の知れた常連客だ。

「そんな男には絶対、引っかかっちゃダメよ?」なんてひとかけらの説得力もないアドバイスを投げかけて、客席に向かうアザミさんを目で追いかけながら思う。

やっぱりアザミさんの横顔が好きだ。

ここは椿町発展街、おんなのこたちは過去の記憶もあの時の感情もねじ伏せながら、今日も、笑顔で。