パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です

選りすぐり

ぐったりと肩を落としながら、駆け足でバス停に向かう朝も、くたびれて重くなったからだをバスの座席にあずける夜も、随分と慣れてきたところ。まだまだ道半ばで、息を切らし立ち止まる日もあれば、自分を奮い立たせながら歩みを進める日もあって。一年また一年と、歳をとるスピードは着実に速くなっている。0〜20歳 までと 20〜死 までの体感時間はおおよそ同じだという話をどこかで聞いたこともある。きっとこの速さは日々を懸命に生きている証にちがいないんだろう。ゴールが定められていて、走る道がきまっている毎日は進みやすくて心地がいい。

24歳、それは20代前半最後の年になり得る。なんだわたしも歳をとるのか、といつまで経ってもどこか他人事のように思ってきたけれど、徐々に遅れてやってきた精神年齢もすぐそばまで追いついてきたみたいだ。わたしの心は17歳で止まっているとか、最近さすがに無理もある。ティーンエイジ特有のはじけ飛ぶような輝きは失われつつあって、ある程度の出来事は「経験済」の判を押されてしまった。もう些細なことでうろたえたりしないし、簡単に泣いたりもしない。この精神を保ったまま、17歳の日々を過ごしてもひどく退屈で物足りないんだろうとさえ思う。あの頃は手に取るすべてが新鮮で、輝いていて、そうしていつも少しおびえていたのに。「経験済」のまいにちは繰り返され、磨かれてゆくのか。このあとの「未経験」を見つけるための人生か。

2年前の私はいう「バースデーケーキの上で揺らめくロウソクの本数には興味がない」と。そんな悠長なことを言っているとあっという間にケーキの上を埋め尽くして、たった一度吹き消したくらいでは消えなくなってしまうんだろう。

相変わらず歳をとることになんの抵抗もないけれど、そろそろお肌の曲がり角がどうとか、傷が治りづらいとか、あの子も結婚したの?とかもう二人目もいるんですか?とかおまえはいつ結婚するんだとか、ほっとけよとか、何歳までに◯◯を成し遂げたいとか、脂物は翌日に響くねとか、膝が痛いとか、腰が痛いとか、そんなことばかり話題になったりするのだろうか。そんな毎日に胸を張れたらしあわせで、老い に対して抗おうとする姿はできれば目指したくない。

皆、平等に向かってくるものだから戦うか交わすかしか選択肢なんてなくて、歳を重ねなければ見えない景色があることをわたしは知っている。今では考えもつかないおおきな世界が広がっているのかもしれないし、想像もできない美しい出会いに巡り合ってしまうのかもしれない。そんな期待はいくつになっても手放さないでいたい。この歳になると、この先の人生を揺るがす重大な選択を迫られていたりする。そして我々は決定のための十分なリソースを欠いたまま、岐路に立たされることもしばしばある。おもえば今わたしの目の前に広がる景色や関わる人々やできごとはすべて、わたし自身が選んできたものだった。そしてそんな「選択」は歳を重ねるたびに、厳選されていく。17歳の頃より使える時間に制限があるから、選りすぐりの人々と関わり合い、選りすぐりのものを食べて、選りすぐりの経験をする。この選りすぐりも毎日ラインナップは異なり、私の選択も経験によって培われた自身の感覚で研ぎ澄まされていく。来年には来年のわたしが厳選した毎日によって、日々が構成されていくのでしょう。

できる限り正解に近いものだけを選んでいきたいけれど、選んだ時点でそれが正解とは限らない。だから人は恐れて、決定に時間を要するのだろう。わからないのなら正解にしていくほかない。どれが正解かなんてわかりはしないよな、いつまでも。

今の人生が正解かと問われたら、24歳の時点ではしあわせだといえよう。なぜなら、バースデーケーキの向こう側に微笑みながら祝福の花束を手渡してくれる人がいるからだ。ゆれるロウソクの灯を一度で吹き消すことができなくなった頃、ケーキの向こう側には誰がいるだろう。そうしてまた自分自身に問いかけてみるのだ、ハロー今、君に素晴らしい世界が見えますか?

トゲのある場所③

すぐシリーズ化してしまいます。

 

一年前のいまころはまだ見ぬ社会という広い広い海をみてこんなところ泳げるわけなどないと尻込みしていました。だけど時というものは残酷で、後ろから思い切り突き飛ばされて飛び込むことを余儀なくされた4月1日。時同じくしてその日、おなじようになんの装備ももたぬまま放り出されたたくさんの学生たちが、横を見ればすぐ近くにいた。

手を取り合って、とかそんな甘いものじゃない泳ぎの早いやつもいれば、深く潜れるやつもいた。わたしはどうだ、流されながら、深くて足のつかない場所を避けながら、声のするほうめがけて、必死にもがき進むしかできなかったようにおもう。

あれトゲの話ではなく海の話になっている。社会は海に似ている。先に島にたどり着いたひとたちから投げ込まれたつよくて丈夫な装備をきちんとじぶんのものにできるやつもいれば、それを取らないやつもいた。わたしはどうだ、投げ込まれたけどうまく掴めなかったりして、ほころびだらけの水着はなんとか手に入れることができた。そんなかんじです。

あっという間に目に入る景色、泳ぎ方が変わって向かうべき島の場所も、立ち泳ぎをしながらなんとかわかってきた気がする。あの頃のわたしとは絶対に違う。そう思わないと進んできた今までの航路がきっと無駄なものになってしまう気がしてなりません。

2019年4月、いよいようしろからまたなんの装備ももたぬまま投げ込まれた新人がやってくる。その新人はもしかしたらもともと泳ぎが早いやつかもしれないし、カナヅチかもしれない。

わたしにできること。ここまできた航路をおしえてあげること。誇りを持って更に前へと進み続けること。

おぼれることも、道を逸れることもあるけれど、どうにかして後から来た者に抜かされぬようもがき続けるしか選択肢はないようです。

抜かされることに怯えて手を動かすことをやめてしまわないように。海はいつまでもどこまでも続いてゆくのです。

いつかあの人たちがいた場所へ、あの人たちがみた景色へ、気がついたら辿り着いていたい。

 

 

トゲの在る場所②

トゲの在る場所

ひとりで反省をして帰るには長すぎる道のりを車で走らせながら何度目かのため息をついた。夕暮れ時になると一気に視力が落ちてきて、対向車線の境目があいまいになる。向かってくるヘッドライドのなかに浮かぶのは今日の間抜けな自分の姿だった。遠くの信号のかろうじて分かる青色、輪郭はぼんやりとしている。ボーっとしながらの運転は良くない。曲がるところをまちがえた。

そんなにわたしのことをバカにしてくれるなよ。

トゲのある場所いまなら、よくわかるけれどまだどうにも上手に取ることができない。トゲがトゲであることは理解できて、それが危険だという認識もあるのにくぐり抜けたりまたいだりすることができないのだ。痛くても突き進むしかなくてやっぱり傷だらけになって、元いた場所よりずっと後ろに舞い戻るのだった。

そんな毎日を過ごしていて感じるのは壁の向こう側にいるひとたちの声が小さく、そして遠くなっているということ。この前もそのトゲの取り方おしえたよね、乗り越え方はもう知ってるはずだよね?どうしてできないの、すぐに忘れてしまうの。と言った具合で。大人だからもう露骨に態度に示したり、声色を変えたりすらしないものの、気分は、人に、伝染するから分かるんだそういうの。

思い過ごしだといわれたらそれまでだけれど、勝手に傷ついて腕に力が入らなくて登れないでいる。

だって教えもらったはずなのにずっとできない。

厳しく背中を叩かれることや辛辣な言葉を投げられることは愛だったと気付いていたからこそわたしにはそれがなくなる瞬間がいやになるほど分かるのだ。まだわからないこの壁の登り方を、声の出し方を、向こう見ずの景色をわたしはもうあの頃のように知ることができないのだとおもうと途端に途方もなく虚しくなるのだった。

登り始めることも、降り始めることも容易かった。なにより大切なことは、なにより難しいことは、このトゲだらけの壁を"登り続けて"いくことだった。腕に力が入らない。足がふるえて次の一歩が踏み出せない。

アンチモニー、宝物のメロディ

話したいことなんて山ほどあった。なにを話してもきっと細い目を更に細めて、笑ってくれるに違いなかった。なんでもないようなわたしの暮らしを、会えなかったあいだに過ごしてきた日々のことを、ただ聞いてくれさえしたらそれでよかった。会いに行くことだっていくらでもできたはずなのに、目の前にある自分の時間がいちばん大切だった。あのころ腰の高さまでしかなかった背丈を、追い越したのはいつからだろう。

手紙に書かれた独特の細長い文字や、好きだった布団のにおい、丁寧に愛情を注ぎ育ててきた庭の花の色、しまいにはだいすきだったかぼちゃの煮付けの味でさえ、今日この日まですっかり忘れてしまっていた。自分は思っている以上に、薄情なやつなのかもしれません。

そういえば、聞きたいことがあった。小3のときいくらせがんでもくれなかった宝物を、中学生になってわたしが再びせがんだとき、突然くれたのはどうしてだったの。流れるあのメロディはなんていう曲なの。どこで買ったの。もしくは誰かにもらったの?聞きたいことは、話したいこと以上にやまほどあった。

三年前に倒れてからお世話になっていた市民病院を離れ、終末医療とよばれる延命処置を一切施すことなく、ただその時がくるのをまつばかりの施設に一年前、転院した。連れて行ってくれた叔母(母の姉)は、電車で向かう途中、わざとらしく声をひそめたままわたしの耳元で「そこに行くだけで生気を吸い取られてしまいそうでならないのよ」と話す。

仕事の用事ついでに向かうのもなんだか間違っている気もしたけれど、心の中でこれが最後の機会だと、不思議と確信していた。叔母の言う通り、その病棟はどこも薄暗くやけに静かで、すれ違う見舞いに来た人も、看護師も、皆にこやかに微笑むことすらしなかった。二階へと上がり、病室へ向かう廊下を歩きながら、ほかの患者のことを横目に歩いた。どの患者も、寝たきりのまま足音の鳴るこちらに目配せをするだけだった。おそらく、目配せをすることしかできないのだろう。202号室につくと、三年前に見たすがたとまるでちがう。やせ細った背中を小さく丸めて横たわる姿があった。

そばに駆け寄って顔を覗き込むと、おもわず目を背けたくなってしまうほど、顔を歪めて、苦しそうにしていた。目は固くつむったまま、意識はほとんどなかった。しかし、耳は聞こえていると言われた。たくさん話しかけてはみたが聞こえていたのかは、最後までわからなかった。ほんの少しだけ、おだやかな表情がみえたのは気のせいだろうか。時折、身をよじらせて、なにかを訴えているようにもみえた。どこを探してもわたしの知っている明るい笑顔は、ほんのひとかけらだって見当たらなかった。

呼吸器をつけて、食事は腕から体力を維持するために必要な栄養素だけを補って、そんなのただ生かされているだけだと思った。大切なひとに「少しでも長く生きていてほしい」と願うこと。それは至極真っ当で、正しいことだと思う。けれど、「どんな姿になっても生きていてくれたらそれでいい」なんていうのは健やかに生きている人間のエゴだ。

たとえもう二度と会えなくなってしまっても、温かい手を握ることができなくなったとしても、もう生きることを頑張らなくてもいい、なんて感情を抱いたのは初めてだった。不謹慎と言われても仕方がなかった。どうしてこんな姿になってまで、苦しまなければならないのか。誰に向けていいのかわからない怒りが涙となり、シーツにこぼれおちていく。

回復を望んだり、ましてや願ったりなどしなかったけれどただ一つだけ、わたしは、これからもきちんと生きるから、最後まで見守っていてください。そしてもしいるのであれば、神様、苦しみや悲しみから最も遠い場所へ、はやく連れて行ってあげてください。そう心のなかで祈り続けた。

あの時もらったオルゴールのことを、帰りの新幹線に乗りながら調べてみたけれど、細やかな装飾が施されたそれのことを、アンチモニーとよぶらしい。トロフィーやメダルにも使われる細工のことを指す。これにどんな思い出が詰まっているのか、知ることができなかった。蓋を開けてゼンマイを回す。流れる心地よいメロディに思い出を重ねて、そう遠くないいつか、自分より大切な誰かの手に渡ったときに、この宝物にまつわる話をしよう。それはかつての、貴女のように。f:id:rccp50z:20181217234627j:image

ふるえれば夜の裂け目のような月

あなたが特別に したんだぜんぶ

いやはや、一緒に星を見てから1年が経ちましたね、早い。ちがう、二日まちがってる。僕は曜日だって覚えてるのに、ほんと忘れっぽいよね、そろそろ直して。ごめんごめんって平謝りする。いつのまにか春夏がおわり、秋になった。初めてのデートはたしか台風が来ていてあの頃は傘をもって助手席を開けて濡れないようにしてくれてたような英国紳士だったのに、今はそういうの無くなった。一日中いっしょにいてもぜんぜん息苦しくなかったから、付き合おうことを決めた。

春は桜を見て、夏には海へ行った。秋は、去年行けなかった紅葉を見に行って、冬にはまたカニが食べたい。ケンカはほとんどなかった気がする。不満はその場で精算することをわたしは決めていたから。いつのまにかもうこんな季節ですか、こわいねーすぐ年取る。車のドアは開けてくれなくなったけど、寒いって言ったら布団かけて抱きしめてくれる。熱いって言ったら、布団をはいで頭を撫でてくれる。わたしが泣いてると何も言わずに、ティッシュで涙を拭いてくれて、りんごジュースが飲みたいって言っただけなのにお気に入りのお菓子を3つも買ってきてくれる。あなたの好きな人はどんなひとと聞かれたとする。ほとんどのひとは人の色恋沙汰に興味などないだろうから、そう行った場面に遭遇したときのことを想定する。そうだねえ、わたしの笑わせかたと、泣き止ませかたを誰よりもよく知っているひとだよ、なんて紹介したい。それから、それをわたしは一度も求めたことなんてないのにね、とも。

結婚とか考えたことないの?ないことはない。けど、できたらいいなとは思ってる。でもわたし、今まで近しくなったひとたち全員と、そう思ってきたような人間だからこの感覚が正しいのかはあんまりよくわからない。ただ、この先もわたしが泣いたときは静かに涙を拭ってくれたら嬉しい。笑ってたらいっしょに同じくらい笑っていてくれたらわたしはきっと幸せでいられるんだろうとは思うよ。

去年、一緒に見に行った流星群が今年も極大をむかえた。あの部屋ではこたつが用意されていて、着々と冬支度が始められている。わたしはまだ夏から履いてるハーフパンツのまま寝てるっていったら風邪引くよ、って叱られてしまった。

最寄りのスーパーで鍋の具材を買う。今日は鍋しようよ。もう何回も思うけど、レジ袋からのぞくネギを持つ後ろ姿が愛おしくてたまらなくなる。写真に収めてるのがバレて、なんでこんなしょうもないところ撮るの?そんなの教えないけど、わからなくていいよ。何も特別なことなんかしてないけれど、また隣で冬を迎えることが嬉しい。具材を入れる。煮立つまでふざけあう。一年前、ネギの切り方で怒られた気がする。すこしは、上手になったでしょ。

わたしの隣にいる、何も変わっていないようでいて、少しずつ変わる。変わっていく。変わらない日々を望んでいたわたしもきっと、いつの間に変わってく。変わらない優しさを、変わらない愛おしさを、変わりゆくふたりで、変わらず愛していきましょう。

プチガトーのうしろすがた


わたしは物心ついた時からケーキが行儀よく並ぶショーケースを、裏側から眺めていた。明るくライトで照らされながら規則的に並ぶ、きらめくケーキの後ろ姿を見ることがだいすきだった。名前も知らないクラシックの音楽が常に流れる店内は、道路に面して店を構えていたからか、車が忙しなく往来する外の世界よりもずっと時間が穏やかにながれているような気がして心地よかったことを思い出す。

店内と工房を隔てるドアを開けると、背の高い帽子を被る父が、ホールケーキと対峙していた。そうだ今はちょうどクリスマスの一週間前、街は心なしか浮かれ始めていた。生クリームとスポンジはデリケートで切りにくいからナイフを何度も火にくべて温めてから切ることをいつか父は教えてくれた。スッと切れたケーキの断面はいつだって美しい。

店の中は生クリームと焼き菓子の香りで満たされていて、幼いわたしは業務用の水飴の入った大きな銀色の缶の上にちょこんと座りこみ、お絵かきに勤しんでいた。母は、大量の焼き菓子の包装と出来上がったケーキを整列させている。

大きな音が鳴って父が慌ただしくオーブンの前に駆けつける。トレーを引き出すと、こんがりと焼き色のついたシュークリームの生地が顔を出した。やった、シュークリームのときはガッツポーズ。なぜならカスタードクリームを食べさせてもらえるからだ。何も言わず父のそばにすり寄ってせがんでみる。絞り出された濃厚なカスタードクリームを口いっぱいに頬張って逃げるようにまたお絵かきに戻るわたしを困ったような笑ったような顔をして、父は仕事に戻るのだった。

この頃のおやつはケーキの端の商品にならない部分、特に冷凍庫で保存されたロールケーキの端っこは生クリームがアイスのようになっていてたまらない。今思えばなんて贅沢で幸せな幼少期だったんだろう。父はかつて パティシエール だった。それは約10年前、町の小さなケーキ屋さんを営んでいたころのこと。

わたしの家には0〜20歳までの誕生日に撮ったわたしのアルバムがある。12歳までのケーキはすべて父の手作りで、この話を人にするときほんの少しだけ誇らしい。近所の喫茶店でケーキを卸していたり、かつて通っていた保育園のひなまつりのときに園児全員に振る舞われた雛ケーキも父が作ったものだった。街では少し有名なケーキ屋の娘だったけれど、とある理由で閉店を余儀なくされる。わたしがケーキ屋の娘でなくなってもう十数年程経つが、父はあれから今日までケーキを作ることは一切ない。職人のプライドか、当時も自宅で作ることは一度もなかったけれど。

わたしはいま、休日に恋人とケーキ屋を巡る。ケーキ屋のドアにはおよそ小さな鐘がついていて、カランカランと軽い音を立て来店を知らせる。その瞬間、胸いっぱいに吸い込む焼き菓子と生クリームの甘い香りを、なつかしいとおもう。明るく照らされたショーケースのなかで丁寧に並べられたケーキたちは行儀よく上目遣いにわたしを眺めながら、きょうはどれにするんだい、そう自分が選ばれることを待ちわびているようだ。ショーケースすれすれに顔を近づけて、対峙してみた。その時の眼差しはきっとあの頃の父と同じに違いない。人がケーキを買うとき、それに付随するかなしい記憶はおそらく見当たらない。いつでも人の喜びのそばにケーキはあるから、ケーキは常に美しくあるのだと思う。繊細な装飾が施された手のひらサイズの幸福を、すこしずつ口に運ぶ。

恋人はケーキを選ばない。全ての選択をわたしに委ねる悪い癖はこの場合、福となす。2人で食べる3つのケーキ。このケーキ屋も、クラシックの音楽を流すから時間がおだやかに流れているような気がする。次のお祝い事は何にしようね、まだ行ったことないケーキ屋に行こうよ。ほら、最近できた、あの通りの角の。日々の生活の中でケーキを食べる理由を探している。わたしはケーキを他の誰よりも愛している。あるいはケーキと共にある、いくつかの記憶のことを。

トゲの在る場所

毎日こてんぱんに叩きのめされている。今まではどうにかして逃げ道を探して避けてきたおおきな壁にまっこうから向かっていかなければならない。それは想像を絶するほど高く分厚く、なんならトゲとかもあって。まだその壁を登る手段も得てないわたしは壁のすぐそばでクルクルと回っている。年次の高い先輩たちにまずはトゲの攻略方法を教わる。あれ、けどこのトゲって本当に取っていいんですか?取る道具ってどこにありますか?ってかここにある赤色のトゲって取っちゃって大丈夫なやつですか?登る手段にすらまだ達していないわたしの道はまだまだ険しく長く果てしないのでしょう。

運良くわたしの上司は、今まで接してきた誰よりも厳しく、何よりも正しい。この人の言うことをひとつ残らず聞いていればいつかは壁を登れる気がする。早く登れ、早く登れ、うしろからどんどん背中を押されるから前に進まざるを得ない。しかし驚くべきことに、それをわたしは嬉しく思う。

今まで避けてきた多くの壁たちにわたしは未練があった。それを超える手段を誰にも聞かずにいた。その壁を越えられなくても誰ひとりとして迷惑を被らないからだ。けど今はそうではない、壁の向こう側に、わたしが乗り越えるのを待っている人がいる。乗り越えることを期待しているひとがいる。その期待を裏切るわけにはいかない。どうにかしてでもわたしは壁を乗り越えていきたいとおもう。それが実は間違っていようとも、壁の向こう側には更なる険しい壁が再び立ちはだかっていようとも、超えることを選択したのは自分なのだから、きっと後悔はしないはずだ。登ることをあきらめることはずっと容易い。

これから続く、労働という壁。乗り越えた先になにが見えているのかわたしには知る由もないけれど、何を見ることができるのか、興味がある。早く登りきりたい。いつになるのか分からないができるだけ早く、できるだけ遠くに行きたい。労働は覚悟していた以上に厳しくて険しくて、だけど何もなかったわたしにとって唯一本気で向き合えるものだ。どうかこの想いだけは忘れずにいたい。忘れないでくれ。いつのまにか増えている 心の宝物 を増やしていきたい。悔しくて、ときには嬉しくてたまらない夜を増やしていきたい。

星に帰った不道徳ちゃんの話

あなたとの夜を、何度想像しただろう。あなたはとっくの昔にもう人のもので、手には入らなくて、手に入れてはいけなくて、だからこそ欲しくて、でも決して多くを望んだりしなかった。

だから、二人きりの時間を過ごそうとあなたから言ってきてくれたときはどうしようかとおもった。今までどれだけ我慢してきたことか。好意を伝えたときもあったけど、本気に思われたくなくて、おどけてみせて、でもずっとわたしはずっと、こうなりたかった。今日という日が早くきてほしいような、一生来ないでほしいような。身悶えるきもちで約束までの二週間を過ごしました。やっと見せてくれた二人のときにだけ見れるその表情だけで、天にも昇る思いがした。 寝たことが重要ではなくて、そういうきもちを、わたしと同じように抱いていたという事実がただ嬉しくてたまらなくて、最初から最後までウワノソラだった。毎分単位で、今、わたしは一年前に恋焦がれていたひとの腕の中にいることを実感して、噛み締めて、深く深く刻んだの。あつくてなめらかで、だけどがっしりと強い男のからだをしていた。そう言えばずっと鍛えているんだって自慢気に話してた。

わたし、周りの女の子より身体がおおきいことが自分の最もキライなところだったのに、抱きしめてくれたときに想像より小さいんだね、こうしてみなきゃ分からなかったと言われた。あなたが大きいからそう思うだけだろうけど、わたしにとってそれは最大限で、究極の、おんなのこ扱いだった。わたしの体を優しく撫でる手が温かくて、太くて、触れた場所からどんどん熱が広がっていくような気がした。その手がわたしに触れていることがそもそも奇跡のような夢のようなことで、わたしはどうしてもこの喜びを一人きりで消化するにはしばらくの時間を要すると思って、いま送り届けてもらったその足で、朝焼けの中を歩いて早朝のファミレスでモーニングを食べてる。

だけどやっぱりどう考えたって、夢だったんじゃないかとおもう。夢だよって言われたとしてもそうでしたかハイわかりましたって納得してしまうくらい現実味がない。例え夢だったとしても、わたしはなんていい夢を見たんだろう。あなたの眼差しを独り占めして、あの時間だけはきっとわたしのもので、間違いなくわたしも、あなたのものだった。ぜったいに秘密の、わたしとあなただけの重大なかくしごと。一夜のうつくしい事件のことを、誰かに聞いて欲しくてたまらなくなるけれど、ぜったい誰にも話したくなんかない。そんなきもちは初めてで。こんなことがあったら、すぐにだれかに連絡してしまうけれど、この話を口にするたび思い出がどんどんすり減って遂には消えてしまうみたいにおもえて、きっとこの先誰にも話さない気がする。

想像よりずっと優しく触れる指先を、おおきなあなたの体つきを、ずっとわたしだけのものにしたかったたくましい腕を、わたしの前だけで見せてくれたいつも通りの笑顔を、ホテルに至るまでの恥じらいを、ホテルを出た朝5時の空の明るさを、火照った体をほどよく冷ますまだすこし肌寒い春の朝焼けを、道沿いに咲く七分咲きの梅を、舞い上がるきもちを、行き場のない切なさを、わたしはきっと、今日からずっと、忘れることはないのでしょう。たとえ忘れたとしても、いつか薄れたとしても、春がくればいくらでも思い出せる気がする。これでさよなら、わたしの、不道徳ちゃん。

ピンクネオン

月末にはここをやめるの。毎週火曜日に訪れる常連のその人はお酒を飲む手をピタリと止めて、わたしの顔を覗きみた。それは、本当に?兼ねてからわたしはただのアルバイトにすぎなくて、一生をここで従事するつもりはないということを伝えていたはずだったけれど。その報告があまりに唐突だったのか、その人はひどく落ち込んでしまったようにみえた。

 水商売に足を踏み入れたきっかけは、友達のそのまた友達の紹介だった。簡単に稼げる仕事があるんだけど、やってみない?その話を受けるまで興味もなければ関心すらなく「そういう仕事」をすることはいけないことだと認識していたわたしが「そういう仕事」をするなんて思ってもみなかったんだ。だけど時給は今までしてきたアルバイトの倍あって、都合のいい仕事だと軽い気持ちで入店した。初めのうちは、水商売にまつわる偏見がどうしてもぬぐいきれなかった。親にバレたら、友達にバレたら、きっと軽蔑されるにちがいない。水商売の世界には、生い立ちに難があり、金銭的な事情を抱えている貞操観念のゆるい女が男をたぶらかし、お金を巻き上げていく卑しいものだと信じてやまなかった。 

  わたしは幼い頃から人よりずっと真面目で、親の存在が絶対的な一人っ子だったから言うことはよく聞いていた。逆らって叱責されることを何より恐れて、とうとう反抗期なるものはやってこないまま成人した。せめてもの反骨心、わたしは心のどこかで「不真面目になりたい」ずっとそう思ってきたんだろう。しかし、今なら言える。わたしは全くの無知だった。想像通り貞操を守らない女も、その日暮らしの女もいたが、水商売は人一倍の気配りと、献身的な心遣いが必要な、根性のいる仕事だった。ただ笑い、色目を使いながら男にお酌をする「不真面目」な仕事では決してなかった。

わたしが在籍していた店は、系列店を含めると4店舗。その全てを取り仕切るママがいた。そのママがかつて一斉を風靡していた頃、馴染みだった客が今でもママに会いに来て、昔を懐かしみながらお酒を嗜む場所だった。二十数年来の常連客がほとんどを占めていて、今は地元を離れ働いている人も遠方から訪れては、あの頃は良かった、そう口を揃えて皆おなじ話をしていた。わたしの知らない時代を生きた大人たちが話す思い出話は、どれも愉快で突拍子もなく、なにより破天荒だった。現代の若者たちにはとうてい理解することができないであろう血気盛んな時代の話をよくしてくれた。

ママは幾度となくわたしたちに教示する。女にしか出せない愛嬌あるやわらかい笑み、丸みを帯びたからだつき、男を癒し、もてなす数々の建前、その全てが武器であること。自分自身が商品であるこの世界で、己の美醜に対する関心はもちろん、客席での立ち居振る舞いには厳しかった。身なりのなっていない女に、男たちの多くは蔑んだ品のない言葉を投げかけて、優位に立とうとした。そういった対象には絶対なりたくなかった。水商売をはじめてからわたしは「身の丈に合った華やかさで自分を着飾ること」がどれだけ大切なのかを身をもって学ぶことができたんだ。女としての価値がなければこの世界では生きて行けない。この店で働いているホステスたちの多くは、自信に満ち溢れている顔をしていた。

客に好みの顔立ちだからという理由で、尻に触れたことを咎めただけで、頰にキスをするだけでささやかな おひねり がもらえた。自分のお金で買うには躊躇う様々なものを買い与えられ、同伴でこれまで食べたことのない贅沢な食事にありつけた。ここにいることはわたしにとって、例えるならばゆるやかな毒だった。甘くてやわらかくて、わたしの自尊心を一切傷つけることのないその毒は、それが悪しきものだとは気づくことができない。わたしたちが男性に建前を並べるように、男性たちもまたわたしたちを華のように扱った。「自分のためにお金と時間を費やしてくれる人がいる」そういった誰かに必要とされているという確固たる自負が、ここにいると誰よりも強くなる。誰しもが容易に、自分がまるで高貴な女にでもなれたかのような錯覚に陥ることができる。それは一度手に入れてしまえば手放し難いものだった。このままいたらゆるやかに、そして気づかないうちに堕落していく。そんな恐怖がわたしの中にうずまいていた。

就職を理由に、わたしはこの世界から最も美しいかたちで退くことを決意した。ほとんどは客やキャスト同士のいざこざに苛まれて翌日から忽然と姿を消す終わり方が多く、きちんと最後の日を伝えやめていくことに驚かれた。非常に稀なケースらしい。店での関係といえどあまりにも個人に深く関わりすぎる仕事柄、どうしても感謝を伝えたかった。こうして客ごときに情を抱くあたりがことごとく、この仕事が向いていないと感じる瞬間だった。最後の夜、辞めることを事前に伝えた客たちがたった数時間わたしと隣で話すために、20組近く訪れた。最後までわたしを口説き落とそうと前のめりになって食事に誘う人も、架空の就職話を真に受け応援してくれる人も、わたしに会えなくなることを嘆き悲しみながら4セット居座った人も、もう会うことは無いのだと思うと、ほんの少しだけ寂しかった。これだけ多くの人に自分自身が求められることは、この先経験することがない気がする。この場所で全くの別人として過ごした夢のような一年はたまらなく楽しかったけれど、ここはきっと長く居ていい場所ではない。さようなら、大好きな街の、きっともう二度と会わない人たち。

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ゆうべ見た悪夢の話

そこはわたしの家で、確か夜で、両親は眠っている。突然猛烈な吐き気に襲われてわたしは暗闇の部屋を這いずってトイレに辿り着く。そのトイレは六畳ほどの部屋の奥にポツンとある洋式。便器を抱え込んだままうずくまってずっとずっとずっと吐き続ける。酒を飲みすぎたせいなのか、体調が芳しくないからなのか分からない。けれどそれはとめどなく、勢いは収まることなく。いつのまにか起きてきた母親が居間にいたから苦し紛れに塩水とタオルを頼んだ。すると床にもう一人母親が寝転んでいることに気づく、しかしそれが本物ではないことは何故だかすぐに理解した。そのもう一人の、「偽物の母親」はとても苦しんでいるようにみえる。とても痩せこけていて、小刻みに震えている。母親だから助けてあげたいと手を差し伸べようとするも、本物の母親に引きとめられる。助ける必要などないと。なぜなら ソレ は、偽物だから。明らかに苦しそうな 偽物の母親 を横目に、わたしの吐き気はまだ治らない。吐き続けていたら父親も起きてきたが様子がおかしい。わたしを見つめるその眼差しがあまりにも冷ややかでわたしは汚したトイレを必死に拭いて泣きながら謝っていた。父親は偽物の母親を足蹴にして仕事に走って出て行った。その後ろ姿があまりにも寂しくて、虚しくて。苦しそうな偽物の母親はまだわたしに助けを求めている。助けてあげたい助けてあげたい、でも、できない。僅かに残された力を振り絞ってふらつきながら立ち上がったその偽物の母親には両腕がなかった。顔面は赤黒く腫れ上がり、先ほどまで横たわっていた床には黄色のシミがいくつもできている。ふらつく偽物の母親を支えようとしたら本物の母親に頭を掴まれ壁に叩きつけられた。どうしてこんな目にあわされているか分かってる?分からない?じゃあ教えてあげる。痛みはないが、叩きつけられた壁に血が流れているのがみえた。わたしの吐き気はまだ、おさまらない。