パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です

カスタマイズ人生

今年も無事生きて、25歳をむかえることができました。おめでとうございます。を、ありがとうございます。いくつもの祝福たちを小脇に抱えて、一日中はにかむ頬を内側から噛み締めながら仕事に励んでいた。今年はいよいよ嬉しくなくなるだろうと思っていたのに、誕生日はうれしい日に違いないのだった。なんなら前日からワクワクが止まらないのだった。0時00分から踊り出したくもなったが、25歳なので大人しく過ごすのだった。四半世紀を生きてきた証に、25歳のわたしが見ている景色を残していきたいとおもう。

毎年、誕生日を迎えるひとつきほど前から、これまで書き記してきた4年分の記事を読み返してみる。その度に、当時の幼い自分を俯瞰して見たり、変わらない自分に安堵することがほとんどだが、今年は驚くべきことにたった一年前の記事でさえ、共感することができない。

一年前のわたしは、物事を選択することを極度に恐れていた。自分の選択にひとつも自信が持てなかった。いつも何らかの分岐点に立たされたとき、選ばなかった道の方を向いては、あちらのほうが美しく見えるものだなと選んだ道の景色も知らずに、ただ下を向いて小石を蹴りながら頭を垂れていた。そんなことを繰り返しているうちに、自分が進みたい方向をついには見失って、どの道に出てもわたしが望んだ景色ではなくなっていた。

ふと、わたしが選ぶ道は今まで誰かのための道だったことに気づく。わたしがほんとうに進みたい道などではなくて、誰かがわたしに進んでほしいだろう道を自然と、何の疑いもなく選んでいたから(一度も頼まれてなんかいないのに)いつも踏み出す一歩に躊躇いがあった。誰かの顔色を伺って、NOを伝えることにおびえて、更にはこちらを選んだほうが喜ぶひとがいるからという基準で、わたしは歩いてきた。

25歳を迎えるにあたり、わたしはわたしが望む道のみ選ぶこととした。しかしその瞬間から、大きな勇気を伴うことになったのはいうまでもない。20代も半ばに差し掛かるとその道が、たとえ舗装されていなくても、急な斜面が立ちはだかっていても、すべて歩くことを決めた自分の責任になるのだ。道中で何者かに襲われようが熊があらわれようが、自分の身は自分で守らなくてはならない。

21歳の時分はこうした責任を背負うことがいやでいやで仕方がなくて、だから歳を取りたくなかったんだけど、責任があるからこそ手に入れられる景色を知った今、これからの人生を自分の意志で歩いていけることに誇りすら感じる。大人になれてよかった。もうすこし歳を取ったらたとえば、靴を高く放り投げて上を向いたら左とか、サイコロの目の数だけ曲がるだとか、そういったこともしたい。どんな道に出ようとも、それは初めから進むべきことが決まっており、そのどれもがわたしにとって必要な道であるはずだから。

年始に掲げた脱○○という目標を遂行すべく、必要なものとそうでないものを、慎重かつ大胆に精査してきた半年間。わたしが選んだこだわりの未来は、今までよりも身軽で、ずっと遠くまで飛べそうな気がしている。26歳のわたしも、はたまた30歳のわたしも、自分の選んだ道を歩いていてほしいと願う。その時はどうか顔を上げて、あっというまに過ぎていく景色を目に焼き付けながら、あとはしばらく道なりに。

 

 

 

追伸 一年前の投稿でもわたしは選ぶことについてそれはそれは長ったらしく書いているな。

すがる

祖父の納骨式のあと、ちえこさん(父方の叔母)からひさしぶりに会わないかと連絡が来た。祖父の葬式で会ったのが十数年ぶりで、それまではお互いの存在にさして興味がなかったんだろうとおもう。知ろうともしなかったし、知ってほしいとも特に思わなかった。

幼い頃、ちえこさんの身振り手振りの大きい話し方や、おおげさなリアクションが子供ながらにおもしろおかしくてよく二人で笑い合った記憶が多い。母とはやっぱり仲が悪いので、自由に会わせてもらえることは少なく祖母の認知症が発覚してからは父を介して会いに行くことも無くなっていた。

そんなちえこさんからの誘いは少なからずうれしくて、どんな話をしようか、どんな話を聞こうかほんの少し緊張しながらもむかえたその日。最近の身の上話をしている時にふと、ちえこさんから「最近悩んでいることはないのか?」とたずねられた。もちろんあるけれど、、と伝えたところで「そういうことは早く解決しておかなくちゃ、そういえば神戸にとても有名な信頼できる力を持った人がいてね、その人に話すと心が軽くなって、悩み事が晴れて、何事も良い方向に進んでゆくのよ。」まずい、と思った。これはおかしな話だと感じた。かねてよりわたしは自分の身に降りかかる危険にたいする勘は鋭いほうだ。第六感をしんじている。それは、すなわち、いわゆる、宗教の勧誘だった。

しばらく関わり合いのなかった姪を、突然食事に誘ったのは、身の上話をとことん引き出していたのは、すべてこの瞬間のための時間だったのか。この本質的なことを口にせず、察しを求める薄気味悪い感じ。察するまでに要した時間約0.2秒、悲しくなった。

そこからのわたしは早口で捲し立てるように「わたしは悩んでいる、この悩みは日々尽きることはなくなんと毎日増えていく。けれど、わたしには助けを求めればすぐに駆けつけてくれる人と、道を逸れないよう指導してくれる人と、どうしようもない悲しみに暮れたとき話だけを真摯に聞いてくれる人、周りにいるからそういうの、わたし全く必要ない。全然いらない。」一息にそう伝えて、でもせめて空気を悪くしないようにと、そのあとは必死に盛り上げを試みた。残ってる食事をかきこんで、そそくさと帰ってきた。わたしにすがる場所なんて必要ない、わたしはそんなに弱くない。舐めてもらっちゃ困る、こうしてめずらしく腹を立てながら。

2020年-元日-

近所にある氏神様のもとで「仕事御守」を買った。毎日持ち歩いている。いつもは財布に入れているけど、不安に苛まれそうなときはスーツの胸ポケットにいれて、手を添えて願いを込める。長野県にあるパワースポットに足を運び、有名な石仏様のもとをおとずれて、その周りを願いを唱えながら三周回って、手を合わせた。その石仏様ならではの唱え方がご丁寧にそばに掲げてあってから、しかと守った。するとどうだろう、最近仕事が順調な気がする。気がする。関わる人たちがみな素晴らしく、世界が光に満ち溢れている、気がする。良い 気 がわたしのまわりに渦巻いているようかんじる。感じるだけかもしれません、でもありがとうございます。そう感じることさえ今までしなかったから。お礼参りにいかなくては。ふと、ちえこさんのことを思い出した。目に見えない力にすがり、信仰をもつことは、もしかしたらよい行いなのかもしれないな。

スグナクマンが教えてくれたこと

それは小学生の頃、教室の隅におかれた児童文学書の本棚の中にあった。主人公はクラスメイトにいじめられていて、すぐに泣いてしまうおとこのこの物語。靴の中に大量の砂を入れられたり、給食の時間にスプーンがチョークの粉まみれにされたり、その物語の中に描かれていたいじめはひどくつらいもので、題名に「へんしん!スグナクマン」とあった。

わたしは結末を覚えていない。題名にはへんしん!とあるくらいなのだから、主人公のおとこのこは泣かないように強く、逞しく、なっていくのだろうか。もしくは泣いてしまうじぶんを受け入れて、泣き喚きながらいじめっこに立ち向かうのだろうか。

わたしはすぐに泣く。悲しくて、悔しくて、情けなくて、ときに嬉しくても、泣く。あらゆる感情がすべて、涙に変わる。先日23歳になったばかりなのだから、もうあまり人前で泣くことは普通じゃないことくらい重々承知しているのにもかかわらず、だ。泣いてはいけない。そんなこと言われなくてもわかっている。私だって泣きたくて泣いてるわけじゃない。抑えようとすればするほど、堪えるたびに。瞼の裏で涙が満ちていく感覚が分かるのだった。

泣かない人のことを強いと思う。とはいえ、すぐ泣く人のことを弱いとは決して思わない。すぐ泣くから物事を諦めたわけではないし、すぐ泣くから投げだしたいわけではないことを他の誰よりも分かるからだ。どうしようもないほど言葉にならない想いがあって、吐き出し方や伝え方が分からないから涙が出るのだ。

どういった作用が働いているのか分からないが、昔から泣き腫らしたあと、きまって力がみなぎるのだった。そしてほんの少しだけ、泣く前の自分よりもうまくできることが増えるのだ。よく泣く人にしか分からないと思うけど、「涙の数だけ強くなれる」ありきたりな慰めの一言は、真実だった。

へんしん!スグナクマン、泣ける勇気をたずさえて泣ける強さで、打ち勝って。

昨夜見た悪夢の話

そこは川沿いの広い道路、大勢の観衆がなにやらざわついている。そしてその様子をわたしはテレビの画面から眺めていた。よくある街の風景、だったはずだこの瞬間までは。うしろからズドンと大きな音がして、カメラが写したのは、ひとりの警官の姿。その手には大きな斧をもっていて勢いよく振りかざしたあとにみえた。返り血を顔にまで浴び、警察官の青い制服が赤黒く染まっていた。カメラが地面をうつすと血まみれの男がのたうちまわっている。びくんびくんと痙攣するたびに、体から血が噴き出している。警官はふるえる手で斧をにぎりしめたままその様子を呆然と見つめるだけだった。どうやらその警官は、本来そのようにして殺めるはずだった男をかばって飛び込んできた関係のない男に対して、思い切り斧を振りかざしてしまったようだった。慌てふためく観衆の声が悲鳴に変わる。わたしはテレビ越しから目が離せない。ただその男が息をひきとるまでを見届けた。目覚めると、10時を過ぎていてわたしは昨晩どうやら床で寝落ちていたみたいだ。なんて目覚めの悪い夢だろうとおもった。メガネより先にiPhoneを手にとって 「他人が殺される夢」を調べてみた。吉夢らしかった。最近の生活に関係のない描写ばかりで、本来ならば誰か他の人の夢であるはずのものを見ていたような気がしてそこはかとなく不思議だった。そして、言わずもがなもう二度と見たくない夢だった。

愛は四半世紀にも及び

朝怒鳴り声で目を覚ますこともしばしばあった、私たち以外の(テレビや物語の世界で見る)家族が正月や盆に親族一同があつまる習慣をふしぎにおもっていた、わたしたちは少しいびつで未熟だった。仲睦まじく寄り添いあうこともあるが離婚届けを目の前で泣きながら破りすてる母の顔を8回は見た。父は外に女がいる。目を細めて笑みを浮かべながら、わたしに知らない女の人と飲みに行った出来事を話してくれた。20数年変わらない貧しさ、家に増えるガラクタ。愛をもって我々はここまできた。どうしてそれができたのか、その答えや意味については大人になってから知った。母は23歳で家族友達を置いて故郷をはなれ、夫の手を借りずたった1人で子育てをし、義実家に罵られひどくおもい心の病を患った。母を思うと、ひどく惨めで胸がいたむ。叔母からあなたは命がけで育てられたのだと伝えられたのは随分と後からだったけど。そうなんだろうということは、もっと前からわたしは知っていた。

銀婚式をむかえた両親に、祝福をおくる。

両家はたいへん仲が悪く、母はとくに義母のことを忌み嫌っている。わたしに対しても義母に対する罵詈雑言を投げかけ、共感をもとめることもしばしばあった。あのクソババアが、あのクソババアが、と。わたしにとっては、幼いころから大切な祖母であるほかなので良い思い出しか見当たらず、そんな話を振られた時分には、曖昧にうなずくことしかできなかった。祖母の話をすると露骨に家庭内空気が悪くなることを幼いながらにも察し、口にすることはほとんどなかった。

たとえ伴侶の親であろうと一度恨んだらしぬまで恨み続けるのがわたしの母だ。嫌いな相手にも、好きな相手にも、執着するところは昔から人としてひとりの女性として、最も嫌いな一面でもあった。

母は、重度の精神疾患をかかえており、繰り返し引き起こされるヒステリックな発作によって浴びせられる理不尽に悩まされる幼少期をすごしてきたから極度に人を恐れ、そして人の痛みを理解できる人間にわたしは育ったらしい。母親に逆らうことのできなかったせいで、ずいぶんと遅れてやってきた反抗期もようやく終息を迎えようととしているがまだ怒りの感情をうまくコントロールすることが得意ではない。

父に他の女の存在がいることを知ったのは、最近のことだが不思議と何も思わなかった。ただバレなければほかにどういう悪事をはたらいていようとどうでもよかった。言ってしまえば、父にもあの母親以外にそういった安らげる場があるのならそれでいいとさえ。父は、わたしと母の前で理想的な父親を、旦那を振舞ってくれているから何も問題はないだろう。

そんな 普通 ではない家族が離散せず25年も続いたのには、おそらくわたしの存在が大きく関係しているのだろうという自負がある。そしてわたしはそれを、素敵なことだと思う。私が存在していなければ二人はとうに他人となっていたに違いない。

結婚になんの意味があるのかメリットがあるのかなんていくら考えても答えは出ない。経験したことがないからだろう。けれど、勘違いしてほしくないが、幸せな瞬間だって数えきれないほどあった。あまりにも壮絶だった幼少期の思い出が色濃くわたしのなかに残り続けているだけだ。そしてそれが消えることはないこの先も一生。

恋人が家族になる瞬間とはどんな気分なのだろうか、子供ができたらどんな相手でも関係を紡いでいかなければならない責任をわたしは感じられるのだろうか、分からないことばかりでどうにも遠い未来の、更にその先の話のような気もしている。自分には縁がないことなのかもしれない、少しの勇気と勢いでなんと大きなものを背負ってしまったのだろうと後悔することも少なくはないんだろう。そんな後悔さえも愛してゆきながら「続けていく」ことはなによりもむずかしい。

そしてそんな難しいことを25年もやってのけた両親のことは素直に尊敬する。家族となり、わたしをこの世に産み落とし、なかよく老けてゆく両親のようにいつかなりたいとおもった。双方の家族を愛さなくても、ほかに女がいようとも、一生向き合う病に体を蝕まれても、守るべきものがあれば家族になれる。そう教えてくれたふたりのすがた。

そんな、9月11日のこと。f:id:rccp50z:20190911005244j:image

選りすぐり

ぐったりと肩を落としながら、駆け足でバス停に向かう朝も、くたびれて重くなったからだを座席にあずける夜も、随分と慣れてきたところ。まだまだ道半ばで、息を切らし立ち止まる日もあれば、自分を奮い立たせながら歩を進める日だってある。一年また一年と、歳をとるスピードは着実に速くなっているようです。0〜20歳 までと 20〜死 までの体感時間はおおよそ同じだという話をどこかで聞いたこともある。きっとこの速さは日々を懸命に生きている証にちがいないんだろうなんて言い聞かせながら、今日もまたいつもの道を。ゴールが定められてる毎日は、迷わず歩けて心地がいい。

24歳、それは20代前半最後の年。なんだわたしも歳をとるのか、といつまで経ってもどこか他人事のように思ってきたけれど、徐々に遅れてやってきた精神年齢もようやくそこまで追いついてきたみたい。わたしの心は永遠の17歳、とか最近さすがに無理もある。ティーンエイジ特有のはじけ飛ぶような輝きは失われつつあって、ある程度の出来事は「経験済」の判を押されてしまった。もう些細なことでうろたえたりしないし、容易く人前で泣いたりしない。この精神を保ったまま、17歳の日々を過ごしてもひどく退屈で物足りないんだろうと思う。あの頃は手に取るすべてが新鮮で、輝いていて、いつも少しおびえていたのに。「経験済」のまいにちは繰り返され、磨かれてゆくのか。僅かな「未経験」を見つけるための人生か。

2年前の私はいう「バースデーケーキの上で揺らめくロウソクの本数には興味がない」と。そんな悠長なことを言っているとあっという間にケーキの上を埋め尽くして、たった一度吹き消したくらいでは消えなくなってしまう。相変わらず歳をとることになんの抵抗もないけれど、そろそろお肌の曲がり角がどうとか、傷が治りづらいとか、あの子も結婚したの?とかもう二人目もいるんですか?とかおまえはいつ結婚するんだとか、ほっとけよとか、何歳までに◯◯を成し遂げたいとか、脂物は翌日に響くねとか、膝が痛いとか、腰が痛いとか、そんなことばかり話題になったりするのでしょうか。

この歳になると、この先の人生を揺るがす重大な選択を迫られていたりする。そうしてわたしたちは殆どの場合、決定のための十分なリソースを欠いたまま、岐路に立たされることもしばしばある。「選択」は歳を重ねるたびに、厳選されていく。17歳の頃より使える時間に限りがあるから、選択肢はさらに狭まる。選びぬかれた選りすぐりの人々と関わり合い、選りすぐりのものを食べて、選りすぐりの経験をする。選ぶものさしも経験によって培われた自身の感覚で研ぎ澄まされていく。来年には来年のわたしが厳選した毎日が、景色が、関わる人々が、できごとがすべて、そんな分岐点を幾度も乗り越えながら構成されていくのでしょう。一瞬たりとて無駄な選択をしたくない。

できる限り正解に近いものを選んでいきたいと思うばかりだけど、選んだ時点でそれが正解とは限らない。だから人は恐れて、決定に時間を要するのだ。わからないのなら否が応でも正解にしていくほかない、どれが正解かなんてのは誰にもいつまでも分かるはずないから。

いま手元にある毎日が正解かと問われたら、力強くうなずける。なぜならバースデーケーキの向こう側に、微笑みながら祝福を手渡してくれる人々がいるからだ。ゆれるロウソクの灯を一度で吹き消すことができなくなった頃、向こう側には誰がいるだろう。ひとりでさえなければ、正解としよう。

それではいつもの参りましょうか、

かかってこい、まだ見ぬ未来。

トゲのある場所③

すぐシリーズ化してしまいます。

 

一年前のいまころはまだ見ぬ社会という広い広い海をみてこんなところ泳げるわけなどないと尻込みしていました。だけど時というものは残酷で、後ろから思い切り突き飛ばされて飛び込むことを余儀なくされた4月1日。時同じくしてその日、おなじようになんの装備ももたぬまま放り出されたたくさんの学生たちが、横を見ればすぐ近くにいた。

手を取り合って、とかそんな甘いものじゃない泳ぎの早いやつもいれば、深く潜れるやつもいた。わたしはどうだ、流されながら、深くて足のつかない場所を避けながら、声のするほうめがけて、必死にもがき進むしかできなかったようにおもう。

あれトゲの話ではなく海の話になっている。社会は海に似ている。先に島にたどり着いたひとたちから投げ込まれたつよくて丈夫な装備をきちんとじぶんのものにできるやつもいれば、それを取らないやつもいた。わたしはどうだ、投げ込まれたけどうまく掴めなかったりして、ほころびだらけの水着はなんとか手に入れることができた。そんなかんじです。

あっという間に目に入る景色、泳ぎ方が変わって向かうべき島の場所も、立ち泳ぎをしながらなんとかわかってきた気がする。あの頃のわたしとは絶対に違う。そう思わないと進んできた今までの航路がきっと無駄なものになってしまう気がしてなりません。

2019年4月、いよいようしろからまたなんの装備ももたぬまま投げ込まれた新人がやってくる。その新人はもしかしたらもともと泳ぎが早いやつかもしれないし、カナヅチかもしれない。

わたしにできること。ここまできた航路をおしえてあげること。誇りを持って更に前へと進み続けること。

おぼれることも、道を逸れることもあるけれど、どうにかして後から来た者に抜かされぬようもがき続けるしか選択肢はないようです。

抜かされることに怯えて手を動かすことをやめてしまわないように。海はいつまでもどこまでも続いてゆくのです。

いつかあの人たちがいた場所へ、あの人たちがみた景色へ、気がついたら辿り着いていたい。

 

 

トゲの在る場所②

トゲの在る場所

ひとりで反省をして帰るには長すぎる道のりを車で走らせながら何度目かのため息をついた。夕暮れ時になると一気に視力が落ちてきて、対向車線の境目があいまいになる。向かってくるヘッドライドのなかに浮かぶのは今日の間抜けな自分の姿だった。遠くの信号のかろうじて分かる青色、輪郭はぼんやりとしている。ボーっとしながらの運転は良くない。曲がるところをまちがえた。

そんなにわたしのことをバカにしてくれるなよ。

トゲのある場所いまなら、よくわかるけれどまだどうにも上手に取ることができない。トゲがトゲであることは理解できて、それが危険だという認識もあるのにくぐり抜けたりまたいだりすることができないのだ。痛くても突き進むしかなくてやっぱり傷だらけになって、元いた場所よりずっと後ろに舞い戻るのだった。

そんな毎日を過ごしていて感じるのは壁の向こう側にいるひとたちの声が小さく、そして遠くなっているということ。この前もそのトゲの取り方おしえたよね、乗り越え方はもう知ってるはずだよね?どうしてできないの、すぐに忘れてしまうの。と言った具合で。大人だからもう露骨に態度に示したり、声色を変えたりすらしないものの、気分は、人に、伝染するから分かるんだそういうの。

思い過ごしだといわれたらそれまでだけれど、勝手に傷ついて腕に力が入らなくて登れないでいる。

だって教えもらったはずなのにずっとできない。

厳しく背中を叩かれることや辛辣な言葉を投げられることは愛だったと気付いていたからこそわたしにはそれがなくなる瞬間がいやになるほど分かるのだ。まだわからないこの壁の登り方を、声の出し方を、向こう見ずの景色をわたしはもうあの頃のように知ることができないのだとおもうと途端に途方もなく虚しくなるのだった。

登り始めることも、降り始めることも容易かった。なにより大切なことは、なにより難しいことは、このトゲだらけの壁を"登り続けて"いくことだった。腕に力が入らない。足がふるえて次の一歩が踏み出せない。

アンチモニーと宝物のメロディ

話したいことなんて山ほどあった。なにを話してもきっと細い目を更に細めて、笑ってくれるに違いなかった。なんでもないようなわたしの暮らしを、会えなかったあいだに過ごしてきた日々のことを、ただ聞いてくれさえしたらそれでよかった。会いに行くことだっていくらでもできたはずなのに、目の前にある自分の時間がいちばん大切だった。あのころ腰の高さまでしかなかった背丈を、追い越したのはいつからだろう。

手紙に書かれた独特の細長い文字や、好きだった布団のにおい、丁寧に愛情を注ぎ育ててきた庭の花の色、しまいにはだいすきだったかぼちゃの煮付けの味でさえ、今日この日まですっかり忘れてしまっていた。自分は思っている以上に、薄情なやつなのかもしれません。

そういえば、聞きたいことがあった。小3のときいくらせがんでもくれなかった宝物を、中学生になってわたしが再びせがんだとき、突然くれたのはどうしてだったの。流れるあのメロディはなんていう曲なの。どこで買ったの。もしくは誰かにもらったの?聞きたいことは、話したいこと以上にやまほどあった。

三年前に倒れてからお世話になっていた市民病院を離れ、終末医療とよばれる延命処置を一切施すことなく、ただその時がくるのをまつばかりの施設に一年前、転院した。連れて行ってくれた叔母(母の姉)は、電車で向かう途中、わざとらしく声をひそめたままわたしの耳元で「そこに行くだけで生気を吸い取られてしまいそうでならないのよ」と話す。

仕事の用事ついでに向かうのもなんだか間違っている気もしたけれど、心の中でこれが最後の機会だと、不思議と確信していた。叔母の言う通り、その病棟はどこも薄暗くやけに静かで、すれ違う見舞いに来た人も、看護師も、皆にこやかに微笑むことすらしなかった。二階へと上がり、病室へ向かう廊下を歩きながら、ほかの患者のことを横目に歩いた。どの患者も、寝たきりのまま足音の鳴るこちらに目配せをするだけだった。おそらく、目配せをすることしかできないのだろう。202号室につくと、三年前に見たすがたとまるでちがう。やせ細った背中を小さく丸めて横たわる姿があった。

そばに駆け寄って顔を覗き込むと、おもわず目を背けたくなってしまうほど、顔を歪めて、苦しそうにしていた。目は固くつむったまま、意識はほとんどなかった。しかし、耳は聞こえていると言われた。たくさん話しかけてはみたが聞こえていたのかは、最後までわからなかった。ほんの少しだけ、おだやかな表情がみえたのは気のせいだろうか。時折、身をよじらせて、なにかを訴えているようにもみえた。どこを探してもわたしの知っている明るい笑顔は、ほんのひとかけらだって見当たらなかった。

呼吸器をつけて、食事は腕から体力を維持するために必要な栄養素だけを補って、そんなのただ生かされているだけだと思った。大切なひとに「少しでも長く生きていてほしい」と願うこと。それは至極真っ当で、正しいことだと思う。けれど、「どんな姿になっても生きていてくれたらそれでいい」なんていうのは健やかに生きている人間のエゴだ。

たとえもう二度と会えなくなってしまっても、温かい手を握ることができなくなったとしても、もう生きることを頑張らなくてもいい、なんて感情を抱いたのは初めてだった。不謹慎と言われても仕方がなかった。どうしてこんな姿になってまで、苦しまなければならないのか。誰に向けていいのかわからない怒りが涙となり、シーツにこぼれおちていく。

回復を望んだり、ましてや願ったりなどしなかったけれどただ一つだけ、わたしは、これからもきちんと生きるから、最後まで見守っていてください。そしてもしいるのであれば、神様、苦しみや悲しみから最も遠い場所へ、はやく連れて行ってあげてください。そう心のなかで祈り続けた。

あの時もらったオルゴールのことを、帰りの新幹線に乗りながら調べてみたけれど、細やかな装飾が施されたそれのことを、アンチモニーとよぶらしい。トロフィーやメダルにも使われる細工のことを指す。これにどんな思い出が詰まっているのか、知ることができなかった。蓋を開けてゼンマイを回す。流れる心地よいメロディに思い出を重ねて、そう遠くないいつか、自分より大切な誰かの手に渡ったときに、この宝物にまつわる話をしよう。それはかつての、貴女のように。f:id:rccp50z:20181217234627j:image

ふるえれば夜の裂け目のような月

あなたが特別に したんだぜんぶ

いやはや、一緒に星を見てから1年が経ちましたね、早い。ちがう、二日まちがってる。僕は曜日だって覚えてるのに、ほんと忘れっぽいよね、そろそろ直して。ごめんごめんって平謝りする。いつのまにか春夏がおわり、秋になった。初めてのデートはたしか台風が来ていてあの頃は傘をもって助手席を開けて濡れないようにしてくれてたような英国紳士だったのに、今はそういうの無くなった。一日中いっしょにいてもぜんぜん息苦しくなかったから、付き合おうことを決めた。

春は桜を見て、夏には海へ行った。秋は、去年行けなかった紅葉を見に行って、冬にはまたカニが食べたい。ケンカはほとんどなかった気がする。不満はその場で精算することをわたしは決めていたから。いつのまにかもうこんな季節ですか、こわいねーすぐ年取る。車のドアは開けてくれなくなったけど、寒いって言ったら布団かけて抱きしめてくれる。熱いって言ったら、布団をはいで頭を撫でてくれる。わたしが泣いてると何も言わずに、ティッシュで涙を拭いてくれて、りんごジュースが飲みたいって言っただけなのにお気に入りのお菓子を3つも買ってきてくれる。あなたの好きな人はどんなひとと聞かれたとする。ほとんどのひとは人の色恋沙汰に興味などないだろうから、そう行った場面に遭遇したときのことを想定する。そうだねえ、わたしの笑わせかたと、泣き止ませかたを誰よりもよく知っているひとだよ、なんて紹介したい。それから、それをわたしは一度も求めたことなんてないのにね、とも。

結婚とか考えたことないの?ないことはない。けど、できたらいいなとは思ってる。でもわたし、今まで近しくなったひとたち全員と、そう思ってきたような人間だからこの感覚が正しいのかはあんまりよくわからない。ただ、この先もわたしが泣いたときは静かに涙を拭ってくれたら嬉しい。笑ってたらいっしょに同じくらい笑っていてくれたらわたしはきっと幸せでいられるんだろうとは思うよ。

去年、一緒に見に行った流星群が今年も極大をむかえた。あの部屋ではこたつが用意されていて、着々と冬支度が始められている。わたしはまだ夏から履いてるハーフパンツのまま寝てるっていったら風邪引くよ、って叱られてしまった。

最寄りのスーパーで鍋の具材を買う。今日は鍋しようよ。もう何回も思うけど、レジ袋からのぞくネギを持つ後ろ姿が愛おしくてたまらなくなる。写真に収めてるのがバレて、なんでこんなしょうもないところ撮るの?そんなの教えないけど、わからなくていいよ。何も特別なことなんかしてないけれど、また隣で冬を迎えることが嬉しい。具材を入れる。煮立つまでふざけあう。一年前、ネギの切り方で怒られた気がする。すこしは、上手になったでしょ。

わたしの隣にいる、何も変わっていないようでいて、少しずつ変わる。変わっていく。変わらない日々を望んでいたわたしもきっと、いつの間に変わってく。変わらない優しさを、変わらない愛おしさを、変わりゆくふたりで、変わらず愛していきましょう。